またまた前日の続きです。
のし台に打ち粉を敷き、その上にこねて丸くつぶしたソバを載せます。のし棒にも打ち粉をまぶし、張り付かないようにして手前から奥にのし棒を押すようにしてソバをのしていきます。
薄く広がってきたら、端の方は厚みを少しだけ残し(あとで角をなるべく四角くするために調整する余地を残すため)、打ち粉をまぶして一旦のし棒に軽く巻き付け、破れないように注意して向きを回転させます。棒に巻かないで回転させようとするとほぼ破れてしまいますので注意してください。
回転させたら角に残した厚みの部分をうまくのし、角が四角くなるように調え、再び同じようにのし棒に巻いて回転させて別の角を四角くし、四つ角を作りながら平らにします。
なるべく均一の厚さ(だいたい2ミリくらい)にした方が、ゆでる際にムラができず、まだ食感も良いのですが、初心者のうちはそんなにうまくいきませんので、まずは破れないようにのせれば上出来です。私の場合、もし破けたらその部分は丸めて別によけておき、最後にまとめて小さな固まりにして別にのして再利用します。少しだけしか破れなかった場合にはソバがきや揚げソバにしても良いでしょう。いよいよ明日は切り→ゆで→完成です。
さて、今日のソバに関するうんちくです。
ソバ屋には○○庵というふうに、庵という文字が使われることが多いのですが、もともと庵というのは「僧侶や出家人、風流人などが閑居する小屋、または大寺に付属する小寺」を指して用いられる名称です。なぜそれがソバ屋の店名として使われるようになったのでしょうか。
それにはこんなエピソードが伝えられています。
安永年間、江戸浅草に浄土宗の極楽寺という寺があったそうです。その寺院内に、付属する「道光庵」という小さな庵があり、長野出身のソバ好きの和尚が住職をしていたのだそうです。(余談ですが庵の住職のことを庵主といいます)。その和尚はソバ好きが高じて自らソバを打つようになり、
やがて名人級の腕となったとか。寺だけに、汁のダシや薬味は精進ものにこだわり、はじめは檀家だけにふるまっていたところ、その評判が広まり、ソバ好きが殺到するようになったのだそうです。そのころ江戸で出版された当時のグルメ雑誌で、ソバ店の番付でみごと一位に選ばれたのだそうです。その高名にあやかって、他のソバ屋も店名に「庵」をつけるようになり、それが今に生きているのだとか。
うーん、私のソバはプロから見ればまだまだの腕ですが、いつか道光庵主に追いつけるように?精進を続けたいと思います。まずはみならって檀家さんに振る舞い批評してもらいますか・・。
なお、調べたところ、道光庵はソバ切りの寺として名が高まったものの、行きすぎたために修行の妨げになるとして、みかねた本寺住職によって「そば禁制」の命が下ったとか・・・