典座ネットブログ <禅と精進料理>

「きちんと食べてますか」 食乱れる現代、禅寺の住職が精進料理レシピを通じて仏の教えを説き、あなたの疲れた心と体を癒します。

2008年05月10日(土)

典座和尚の食育説法 [典座和尚のひとりごと]

 昨日、曹洞宗群馬県寺族会の平成20年度総会及び研修が行われました。
 このたび尊いご縁をいただきまして、お昼の食事を私が用意し、また午後には食に関する講演をおこなって参りました。
 
 最近こういった機会が増えておりますが、毎回依頼状況が違うため、そのたびに臨機応変に対応しなければなりません。今回は群馬の東南に位置するお寺を会場にして行われましたが、同じ群馬とはいえ、北部にある拙寺とは位置的にはかなり離れています。高速道路を使っても約2時間の道のりです。
 当日の朝到着してから調理をしたのでは間にあわないので、拙寺でほとんど調理をすませて持ち込むるケータリング式にしました。
 煮物や胡麻豆腐など、時間がかかる料理は拙寺にて調理、その他の料理も食材の切り込みはすませておき、現地で炒めたりあえたり炊飯したりして盛りつける方式でやってみました。

盛りつけのようす
 ↑盛りつけは、寺族会役員さんに手伝っていただきました。
  品数が多いので、今回はお椀ではなく弁当容器を使用しました。
 
食事のようす
 ↑食事を前にして、皆で合掌し、五観の偈をお唱えしてからいただきます。
  奥の方に見えるのが管理者。食事の説明をしております。


 今回のような場合、まず第一に重要なことは「安全な食事」です。
どんなにおいしくても、食べた人の具合が悪くなるような料理、つまり衛生的に問題があったり、料理がいたんでいたりすることは許されません。
 
 食事は、食べた人の健康を保ち、増進させるものでなくてはいけません。食べておなかが痛くなるようでは困るのです。
 まずは安全なことが最優先で、その上でおいしい味の問題があるのです。

 特に当日は5月とは思えないほど気温が高く、調理人としてはかなり不安でした。移動中の車内温度にも神経を使います。

  
 今まで数え切れないほどの回数、お寺での法要や行事の際に食事を作ってきましたが、もし万一食事に問題があり、食中毒などの事故が起きてしまったら、もう法要どころではありません。みながトイレにかけこみ、ひどければ病院に運ばれ、その日の行事や研修、法要は中止になってしまうのです。それくらい、食の安全というのは重大な問題だと自覚して調理しなくてはいけないのです。

 先日某料亭の料理使い回し問題について記事を書きました。その後の報道では、手つかずの料理どころか、たとえばお客さんが手を付けたワサビを再びワサビ醤油などに使っていたことなどが発覚しました。ふつう、お刺身に添えてあるワサビを全部食べることはないですから、ほとんどのワサビが使い回されていた可能性があります。
 ワサビしょうゆは通常ワサビ自体は加熱せずに作りますので、かなり衛生的に問題があると思います。
 第一、いくら高級な料理であっても、「どこの誰かわからない人が箸をつけたワサビを使ったワサビしょうゆです」といわれたら、気持ち悪くて食べることができませんよね。

 高級料亭ですから、取引先など仕事上大切な方を招くこともあったことでしょう。もし万一、その料亭の食事を食べておなかを壊したりしたら、今後の仕事の上でも取り返しがつきません。
 
 その料亭の板前さんは、いったんお出しした食材を再利用することに、疑問を感じなかったのでしょうか。あるいは、罪悪感を感じながらも、組織の中では意見を言えなかったのでしょうか。
 報道されないいろいろな事情もとうぜんあったとは思いますが、料理人のプライドを貫くことができなかった現実が、残念でなりません。

 私たち料理人は、自分たちが作る料理が、食べる人の健康に大きな影響を与えるということを、もっと自覚しなくてはいけないと思います。

 さて、おかげさまで今回の食事は無事にお出しすることができました。自分の中ではいろいろと反省点もありますが、味の方はおおむね参加者にも好評だったようです。
 今回のように、実際に精進料理を食べていただき、そしてその後精進料理の話、典座教訓の話、食育的な話などの講演を聞くと、非常に説得力があります。聞く人も、話だけではいまいちわかりにくいですが、実際に食べた後だと納得しやすいのです。
  
 もちろん、台所や盛りつけ場所など設備上の問題、またはあまりに大人数だとか、季節などの条件、またそれなりに経費も必要ですから、料理を出すことが無理な場合もよくあります。そんなときはお話だけでもどうでしょうか。食に対する不安が高まり、食育の必要性が叫ばれる今こそ、精進料理の心を説いていく好時節だと思っております。
 ご要望があればメールにてご連絡下さい。

 ↓某寺にて、法要前にお檀家さんに食育説法を行っている様子
食育説法の様子

Posted by 典座和尚(管理者) at 23時45分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年05月02日(金)

某料亭 手つかずの料理を別の客に出す?! [典座和尚のひとりごと]

 みなさん連休はいかがお過ごしでしょうか。ちなみにお寺に連休はありません。いつもと変わらず淡々と過ごしております。
 お寺ではボタン桜がほぼ満開です。その美しさに、思わず疲れた顔もほころびます。

ボタン桜1

ボタン桜2

 さて、今日驚きのニュースが飛び込んで参りました。
昨年暮れから今年初めにかけて、某高級料亭が食品の産地や賞味期限などを偽装していた問題は記憶に新しいことと思います。食品を扱う者の一人として、僭越ながら当ブログでも一言申し上げたばかりでした。

 報じられた内容はおよそ以下の通りです。

 問題となっている某料亭では、客が残した天ぷらやアユの塩焼きなどの料理の中で、
手つかずの料理の中で見た目が良さそうな物を選んで再び別の客に出していたとのこと。なおこれは今年一月の営業再開後の話ではなく、それ以前に4〜5年にわたって行ってきたことが、一連の事件の調査の中で発覚した模様。
 元従業員の話では、先輩の調理人から『使えるものはすべて使う』と指示され、残った料理をえり分けていた」と証言。同地を管轄する保健所も、今回の件を受けて立ち入り調査を行った。


 皆さん、これを聞いてどう思いますか?
 
 最近食に対する不安を感じさせる事件が多発している中で、皆さん食品の安全には敏感なようで、すでにネット上ではいろいろな意見が書かれています。
 
 ある人は、「もったいないという気持ちは大切だ」
      「まだ食べることができるのに捨てる方が問題だ」
 中には、 「精進料理だって食材を捨てない工夫をしているぞ」と書いています。

 
 ちょっと待ってください。一見同じように見えますが、全然違います。
 同じに考えてもらっては困るのです。

 確かに、精進料理では食材を大切にし、無駄がでないように色々と工夫します。
大根や人参の皮も捨てずに再利用しますし、厨房のゴミ箱に入る生ゴミは必要最小限になるよう努力します。食材に敬意と感謝の念を持ち、食材の尊いいのちを無駄にすることなく、すべて生かし切る心によるものです。

 私は今回の某料亭の行為にはとうてい賛同できません。
もったいない、と思う気持ちは理解できるのです。しかし、その方法論が完全に間違えていると思います。

 なぜならば、お客さんの立場を第一に考えたとき、非常に不公平だからです。
あるお客さんには、作りたての料理が出るのに、別のあるお客さんには、使い回しの古い料理が出る。お客さんが、当たり外れがあることを知っていて、料金面などで納得しているのならまだしも、お客さんはそれを知らず、一流の料理だと思って安心しているのです。
 仮に百歩譲って衛生面に問題がなかったとしても、この時点でもう駄目でしょう。そんな当たり外れのあるお店にはいきたくありません。

 たまたま、今回の事件は1食数万円もする高級料亭が舞台となっていますが、値段は関係ないと思います。たとえ1食数百円のお店でも、数万円のお店でも、同じお金をいただく以上、公平な態度で料理をお出ししなくてはいけないと思います。
 だってそうじゃないですか、鮎の塩焼きなんて、焼きたてと、何時間も経ったものをもう一度あぶりなおしたものなんて、味が同じわけがないでしょう。

 精進料理の場合は、非常に公平です。大根の皮も人参の皮も白菜の芯も、だれか特定の人にだけ出すのではなく、混ぜ込んで平等に盛りつけます。しかも、それを陰で隠してコソコソやるのではなく、堂々と恥づることなくやりますから。

 「うん?この食べなれない食感の食材は、なんですか?」
 「はい、ナスのへたを揚げて煮たものです」
 「ははー、そうですか。結構うまいもんですなあ」
 「捨てたらもったいないですから」

 ってなかんじで、聞かれれば堂々と答えますし、また食べる人も納得してくださいます。陰で焼き直し、できたてを装ってだます手法とはまったく次元が違うのです。
 残り物を焼き直したものですよ、と正直に言ったら、おそらくお客さんは怒るでしょうね。基本的に、お客さんは料理人を信じ、きちんと衛生的に料理されていることを前提にして、安心して食べているわけです。
 どこの誰だかわからない別のお客さんに一度出したものを、また出しましたといわれたら、たとえどんなおいしい料理でも、気持ち悪くて食べる気がしなくなるでしょう。
 
 
 次に、衛生面の問題です。一度お客さんに出したものですから、たとえ見た目が大丈夫そうでも、実際にはどんな状態なのかはわかりません。もしかしたらお客さんが床に落としたので食べなかったのかもしれないし、たばこの灰なんかがついているかもしれない。とくに、料亭では個室で食べることが多いでしょうから、料理人の目が届かない場所で何が起きているかはわからないのです。仮に熱を通しなおしたとしても、水洗いするわけではないでしょうから、やはり問題だと思います。

 ちなみに、衛生面をとても重視した最新式のキッチンでは、料理する区画と、食べ終わった皿が戻ってきて廃棄洗浄する区画は、まるっきり別々に区切られています。
 一度お出しした料理が、再び調理ブロックに戻ることは、あり得ないのです。それはやはり、厳密にみれば衛生的に問題があるからなのです。

 まあ他にも、いろいろな理由が思い浮かびますが、長くなるのでこの辺にしておきます。皆さん、私の意見を聞いてどう思われますか。

 ある報道では、作り直した料理は、接待主などの、あまり料理に手をつけないお客さんに出していたとのこと。
 料理屋さんに、料理を食べる目的以外で行き、料理に手も付けない人がいる。
 なんともったいないことでしょうか。
 それを承知の料理人が、どうせ食べないんだからなんだっていいんだ、と開き直っていたのかもしれません。
 やはり、真剣に食べてくれる人、喜んで食べてくれる人があってこそ、料理人も一生懸命になれるのだと思いますね。
 

Posted by 典座和尚(管理者) at 22時30分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2008年04月28日(月)

永平寺 故 宮崎禅師の本をお奨めします [典座和尚のひとりごと]

 故宮崎禅師様の生涯と、その教えを一冊にまとめたすばらしい本が出版されました。NHKスペシャル「永平寺 104歳の禅師」や「ハイビジョンスペシャル・永平寺修行の四季」という特別番組で、NHKのディレクターをつとめた石川氏による著作、
 『坐禅をすれば善き人となる』講談社刊 です。

 番組撮影にあたって宮崎禅師から直接お聞きしたお言葉や、禅師様周辺の老師たちから取材した知られざるエピソードなどを交えて、宮崎禅師の少年期・青年期・そして永平寺の後堂と監院を経て貫首となる過程を、時代を追って紹介しています。

 私も早速購入して拝読いたしましたが、いわゆる小難しい仏教書とは違い、非常にわかりやすく、読みやすい文体で書かれており、飽きることなく一気に読みふけってしまいました。
 僧侶が仏教書を書くと、ついつい難しい専門用語を多用しがちで、一般の方にはわかりにくくなってしまうことがありますが、本書は僧侶ではなく番組ディレクターが書いているという点が良いのだと思います。
 え、あの宮崎禅師にこんな逸話が??と驚き、そしてその生きた教えに感動し、108歳という生涯をたゆむことなく禅の修行に専念し尽くした、その尊い生き様に涙あふれる名著だと思います。

故宮崎禅師
 ↑永平寺東京別院不老閣にて、朝の御垂示をなさる故宮崎禅師のお姿。(管理人撮影)


 気になる見どころをちょっとだけ紹介。

・代々庄屋をつとめる名家の長男として生まれた宮崎禅師。
 わけあって小学校4年の時、禅寺に預けられ、厳しき師匠のもとで修行を
 積むことになる。
 僧侶として必要な作法・お経・漢詩・学問は、みな師匠が教えてくれた。
 寺の中でめきめきと頭角をあらわす宮崎少年。
 やがて少年は大学で本格的に学問を修めたいと思うようになる。
 しかし、それを許してくれない師匠に反発し、ある夏寺を飛び出してしまう。
 さて、少年の運命やいかに。

・さまざまな縁により、29歳の若さで歴史ある地方の一寺院住職に就いた宮崎青年。
 僧侶の肉食妻帯が政府によって許され、それが全国的に定着しつつあった昭和初期
 のことだった。
 「他の寺に行くと、和尚の嫁さんが、座布団もお茶も出してくれる。
  しかし、この寺に来ても、お茶も出ないし、実に無愛想だ。
  確かにあんたはいつもきれいに掃除しているし、仏様にお花も上げているけれど、
  檀家に対しては不十分だ、早く結婚しなくてはいかん。」
  と檀家総代に強く結婚を勧められた宮崎青年、さてどう答えたか!

・部屋の電気ひとつにしても無駄を許さず、必要ないときは必ず消していた宮崎禅師。
 「水にしても電気にしても、全てが尊い命。だから大切にせねばならん」
 そう語る宮崎禅師は、ものをとても大切になさる。たとえば、禅師の靴はもうかなり
 昔のものを、ずっと大切にして履いている。
 「おまえたちの靴は、何千円もするだろうけど、わしの靴は、たった3円で買った
  靴じゃ。だからわしの靴が一番安いんじゃ。」と冗談をいう宮崎禅師。
  「修行は、この命に感謝することからはじまる。だから、全てのものを大切に
  しなくてはいかん。この世のあらゆるものが、自分を支えてくれているということを、
  もっと信じなくてはいかん。感謝のこころが大事なんじゃ。」

 私も永平寺で修行中、宮崎禅師さまの身の回りのお世話をさせていただく役をつとめたことがあります。そして永平寺東京別院の典座時代には、別院にお見えになった宮崎禅師に、緊張しながらお食事をお出ししたあの日。この本を拝読していると、当時の懐かしい思い出と、宮崎禅師の在りし日の面影、そしてお言葉がよみがえり、自然に涙があふれてきます。

 この偉大なる大禅師さまと同じ時代を生きた幸せに感謝しております。
曹洞宗のお檀家さんはもちろん、多くの方に是非読んでいただきたい名著です。

 番組を見ていない方はDVDも、合わせて是非ご覧下さい。おそらくいずれは廃盤になってしまうでしょう。幻となる前に、お早めにどうぞ。

 

Posted by 典座和尚(管理者) at 23時13分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 1 )

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高梨尚之(たかなし・しょうし)
曹洞宗大本山永平寺にて修行を積み、精進料理の心と技を深く学ぶ。
平成13年より17年まで、大本山永平寺東京別院長谷寺にて副典座および典座(調理責任者)を務める。
現在、群馬県永福寺住職。
曹洞宗群馬県宗務所布教師。

主著
『永平寺の精進料理(学習研究社)』
『永平寺の心と精進料理(同社)』
新聞、雑誌、仏教誌等連載・記事多数。寺院をはじめ、各所での講演、法話活動に力を注ぐ。


☆当ブログ本体「典座ネット」もぜひご一読下さい。 


 

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