2009年06月27日(土)
今が旬 新ショウガの煮物 [季節の精進料理]
もうまもなく7月です。いよいよ暑い夏本番ですね。
拙寺は群馬の高地にあるため、まだ朝晩は長袖でないと肌寒く感じることもあるくらいで、日中以外は過ごしやすいのですが、先日ご本山である神奈川県鶴見の大本山總持寺に一泊した際、朝から気温と湿度がかなり高く、朝の法要の時点でもうすでに汗びっしょりになってしまいました。都心近郊の皆様はすでに夏の暑さの中で日々過ごされていることと思います。
この時期、お経を読む際に欠かせないのがミニタオル。和尚は暑いからといって半袖シャツで読経するわけにはいきません。何枚も法衣を重ね着して、腹の底から声を出すと、どうしても額に汗が浮かんできます。
特に汗かきな私は、この時期は自宅で洗濯可能なナイロン製の法衣を愛用しておりますが、法要の内容によっては、どうしても絹の法衣を着なくてはならないこともあります。
やはり絹の法衣は光沢も重厚感も素晴らしく、見栄え的にも法要の雰囲気が引きしまるような気がしますが、絹は汗が染みたり、ポタリと垂れたりするとすぐに染みになってしまうのです。そのため、額の汗を頻繁に拭かねばなりません。
法衣の袖に必ずタオルをしのばせて法要に臨みます。
皆さんも、この時期お仕事中額に汗を浮かべておられるのではないでしょうか。
そんな暑い夏を乗り切るにはまずしっかりとした食事が大切になりますが、暑いと食欲が落ち、ついつい手軽なサラッとした料理ばかりを好みがちです。しかし冷たい手軽な料理ばかり続いたのでは、いわゆる夏バテになってしまいます。
そこで、今回は暑い夏でも食欲がわいてくる、ショウガ風味の煮物をご紹介します。
お豆腐やお刺身の上におろし生姜をちょっと載せて食べたりと、日常の食卓でもおなじみのショウガですが、ショウガは東洋ではかなり古くから使われた食材で、中国では紀元前5世紀には漢方薬として大切にされていたと言われています。辛みと香りの成分に薬効があり、今でも風邪の初期症状にはショウガが一番という民間療法もあるほどです。
血行を良くして体を暖め、咳止めの効能もあるために、現在でも禅寺では、寒さが厳しい冬の坐禅の際には、すりおろしたショウガをハチミツと共にお湯で溶いた「生姜湯(しょうがとう)」を皆で飲む習慣があります。
また、生姜の辛み成分と独特の香りが食欲を刺激し、消化液の分泌を助け新陳代謝を活発にさせるため、食欲が落ちがちな夏にはピッタリの食材です。
しかも生姜には殺菌作用があるため、料理が傷みやすくなる夏には、家庭料理に積極的に用いるべきだと思います。
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白く柔らかな皮で包まれ、先がピンク色なのが、6〜8月頃に収穫される新生姜。それを土に埋めて貯蔵したものが、皮が固い黄土色の根ショウガで、いわゆる普通のショウガです。根ショウガの方が辛みは強くなるため、おろし生姜として用いるには根ショウガが適しますが、今回のように煮物に用いるには根ショウガは辛すぎるため新生姜が良いでしょう。

1 新生姜50gを布たわしなどでよくこすり、皮をきれいにする。
皮付きのままなるべく薄い輪切りにし、水に5分ほどさらす。
2 厚揚150gに熱湯をかけて油抜きし、
食べやすい大きさに切る。
3 ゴボウ50gをたわしでよくこすり、皮をきれいにして
食べやすい大きさに切る。
4 1〜3を小鍋に入れ、昆布ダシ250ml、酒50ml、みりん15ml、砂糖5ml、しょうゆ15mlで
火が通り煮汁がほぼ無くなるまで弱火で煮る。
5 二十日大根(はつかだいこん)の皮を洗い、
食べやすいように切れ込みを入れ、熱湯で30秒ほど
さっとゆでて2分ほど水にさらし、塩をさっとふって色どりに添える。
※写真では、わかりやすくするために厚揚とゴボウ、新生姜を分けてもりつけてありますが、
ご家庭では無理に分けず、混ざったまま盛りつけて食べた方がおいしいです。
※今回はたまたまはつかだいこんが手元にあったため添えましたが、無理に無くても良いです。
夏にピッタリの新生姜の煮物、見栄えは地味ですが是非一度おためし下さい。ショウガの辛さと香りで食欲増進、ついついご飯が進みます。
少し多めに作り、自然に冷めてからタッパに入れて冷蔵庫で保存して、食べる分だけチンすれば2〜3日は大丈夫です。夏の常備菜としても最適です。
なお具は写真以外のものでも大丈夫です。お好みの野菜を自由に使ってください。
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2009年06月20日(土)
しばらくぶりです [典座和尚のひとりごと]
3月はじめに更新してから、すでに3ヶ月もの間、まったくホームページおよびブログを更新することができませんでした。
以前にも似たようなことがありましたが、今回はちょっと期間が長かったため、その間「事故か何かで入院されているのですか?」「もしかしてお亡くなりになったのでは?」という内容のメールがいくつか届きました。心配して下さった方には大変ご迷惑をおかけしました。また、お気づかいありがとうございました。
事故や病気ではありませんのでご安心下さい。
実は、私は5月末に「結制(けっせい)」という大きな法要を行いました。
約3ヶ月間、ほぼ休む間もなくその準備に追われていたのです。
当初は、3月中旬頃にでもブログ暫時休止のお知らせを載せようと思っていたのですが、そのころ急な講演・料理教室等の依頼が数件入り、ドタドタしているうちに3月がすぎ、そのまま法要準備期間に突入してしまったのです。
まあ、要するにそれは言い訳で、私の段取りの悪さが全ての原因です。謹んでお詫び申し上げます。
しかし、正直なところブログに手をつける間が全くないほど忙しかったというのも事実です。3ヶ月以上前から本格的な準備にとりかかったにもかかわらず、直前には睡眠時間がほとんどない日々が続きました。予想以上にたいへんな法要で、心身ともに疲れ果てました。
それほどまでにたいへんな結制法要というのは一体なんなんだ、と思われる方も多いと思いますので、そのあたりはいずれあらためて当ブログでご説明したいと思います。
ブログ再開にあたりブログのシステムを少々調整したためだいぶ遅くなってしまいましたが、ブログ更新ができなかった3〜4月にかけての活動報告を以下簡単にご紹介します。
3月10〜11日、山口県にある浄土真宗本願寺派の若手寺族の会、「若朋会(じゃくほうかい)」に招かれ、精進料理昼食つきの講演会を行いました。

上の立派な建物は、会場となった浄土真宗本願寺派山口別院です。
はじめに依頼を受けた時には、正直言ってかなりとまどいました。なぜなら他の宗派からの依頼ははじめてだったからです。
私の講演では、精進料理を題材としてはいますが、その根本にあるのは道元禅師の教えです。道元禅師の教えに触れずに講演をすることはできません。
道元禅師の素晴らしい教えを是非多くの方に伝えたい、という立場である曹洞宗僧侶が、浄土真宗を信仰する方々を前にして講演を行うというのは、たとえれば、A社製の車に乗っている人に向かって、B社の営業マンがセールスをするようなものです。(しかもA社の社員に依頼されて、ですよ)
へたをすれば「あら、曹洞宗の教えの方が素晴らしいわね、わたし転宗しようかしら」なんていう方が出てもおかしくないわけです。
念のため、依頼主である若朋界の副会長さんに、「あのー、どういった主旨・目的で私に依頼を?」と聞いてみたところ「最近、食に対する不安や期待が高まっているでしょう。今こそ、仏教では食事についてどう考えているか、という点について、曹洞宗さんに伝わる食に関する尊い教えを是非お聞きして、皆で勉強してみたいのです。もちろんうちにも食に対する教えや考え方はありますが、せっかくの機会なので、曹洞宗さんの厳格な食に対する姿勢を学び、精進料理を味わってみたいのです」とのこと。
私を選んでくださったのはとても嬉しいのですが、もし、ろくでもない講演をしたら曹洞宗の看板にも傷がついてしまうおそれがあります。いわば、曹洞宗代表で他宗派におうかがいするようなものだなー、とかなり不安でしたが、私はこういう時には前向きに考えるようにしています。
せっかく私を指名してくださったのですから、他人に任せず自分自身で行うべし、という教えに基づき、これも尊い自分の修行だと思ってお引き受けしました。

地元山口の野菜をなるべく使用して欲しいという依頼主の希望により、「岩国レンコン」と「はなっコリー」の2種を用意してもらいました。
もちろん他にも山口名産の野菜はあるのですが、食材の旬、予算、調理場の規模等の条件により、上記の2種を選定しました。
地産地消の観点から、こうした地元の食材を臨機応変に精進料理に取り入れるのも典座の腕の見せ所です。
はなっコリーは私もはじめてですが、ブロッコリーと菜の花が混ざったようなおいしい野菜です。まさに春を迎える献立にぴったり。

浄土真宗本願寺派ではその教義に基づき剃髪をしないため、僧侶も外観は普通の若者と同じです。主催者である僧侶の皆さんにあれこれとお願いをして仮設の台所で調理を進め、できあがった料理を盛りつけているところです。
曹洞宗の僧侶なら、いろいろな場面でこうした経験を積んでいるので、けっこう手早く進むのですが、やはり今回はみなさんはじめてだったため、最初はなかなかとまどっていました。盛りつけは流れ作業で、最後に私がフタをしてチェックするのですが、はじめは「ハイこれ盛りつけが雑です」とか「これもっと多めに」なんてきついことも申し上げましたが、30分もすると慣れてきて、スムーズに運びました。
また会場が近場なら、車で私のうつわ一式を運ぶのですが、今回は遠方でしかも参加者が多いため、うつわは主催者側で用意することに。ご飯、味噌汁のうつわはなんとか揃いましたがおかずまでは不可能なので、おかずは弁当容器に。これだと、3月の気候なら余ってもそのまま夕食に食べることができて便利です。

山口別院の大会議室が昼食の会場。参加者は、8割方が門徒、つまり曹洞宗で言うお檀家さんで、残りの2割が僧侶と寺族さん。募集期間があまりなかったにもかかわらず、約80人の方がお集まりに。
なるべく暖かい料理を召し上がってもらおうと、開会式を隣の大ホールで行っている最中に配膳する役員さんたち。

ご飯は春を連想させるさくら色のタケノコご飯。たくあんは信徒の方が届けてくださいました。カブの葉っぱも無駄にせず、いろどり良く汁に浮かべます。
実はたくあんを事前に切って冷蔵庫に入れておいたのですが、冷蔵庫はどこか事務所の?奥の方にあり、私自身は自分で一度も開けませんでした。そのためすっかりたくあんを忘れており、配膳中に、何か足りないな?あ、たくあんが!ということに気づき、慌てて後からご飯の上に載せました。
本来はお弁当の中に入れた方が食べやすいですね。役員のみなさん申し訳ありませんでした。

食事の後は、同じ会場で1時間30分の講演です。
浄土真宗本願寺派では、仏法の話を聞くことは門徒の大切なつとめであるとして、頻繁にお寺に集まって法話や講演を聞く機会があるのだそうです。
話す側の僧侶も、非常に専門的な訓練を積んでおられて、法話に関しては非常に充実した体制が整っているようです。
正直言って、うちの寺周辺で見る限りですが、法話に関しては、曹洞宗は現状ではかなわないなー、見習うべき点が多いなあ、と思いました。
この場に集まった皆さんは、いわば法話を聞くベテランです。話し手の上手い下手も全て見抜かれます。こんな時に、うまく見せようとして自分の能力以上の背伸びをしては失敗の元。ヘタなりに平常心でお話しすることが大切です。
むしろ、ふだん聞くことがないような?私のくだけた語り口が新鮮だったのかもしれません。聞き上手な参加者の皆さんのおかげで、大過なく進めることができました。

無事終わり、帰り際に主催者である若朋会の役員さんたちと記念撮影。
せっかくの機会なので、料理をしている時や休憩時間などに、浄土真宗本願寺派の教えや、寺をとりまく状況などについて、たくさんの質問をしてみました。とても多くの話を聞くことができ、私自身、すごく勉強になりましたし、良い刺激を受けました。
宗派を越えた素晴らしい交流ができたと思います。
聞けば、こうして他宗派の僧侶を招いて講演を行うのは、滅多にないことだとか。通常は、浄土真宗本願寺派の僧侶が法話や講演を行うそうです。しかし、従来通りのやり方を守っていくだけではこの先行き詰まってしまうのでは、という危機感から、何か新しい試みをと考え、今回の企画に至ったのだそうです。
強く感じたのは、役員さんたちはあくまでも門徒さん、つまり参加者の側に立った目線で企画を練っているなあ、ということです。主催者側の苦労や都合ではなく、どんな企画だったら参加者のためになるか、という視点なのです。
僧侶だけが満足して、肝心の檀家さんが置き去りになり、苦痛さえ感じながら我慢して参加してもらうような企画も残念ながらあるなかで、おいしい?精進料理を食べ、食について仏教の立場から深く考えてもらうこの企画は、多くの方に喜ばれたのではないかと思います。講演後、家路に就く駅の売店でおみやげを選んでいたら、二人の参加者の方に声をあかけられ、とても良かった、と嬉しい言葉をかけていただきました。
考えてみれば、同じ仏教徒です。宗派の壁にとらわれることなく、お互いの良い面を学び合い、それによりさらに自分の属する宗派の特徴を再確認することができたのではないかと思います。
会長さんは、若い青年僧だからこそできる挑戦ですよ、とおっしゃっていました。もしかしたら、別院に他宗派の僧侶を呼んで講演をさせるなんてけしからん、というような冒険に対する批判もあったかもしれません。
しかしそうした批判をあえて承知の上で、こうした宗派を越えた交流を企画してくださった役員さんたちに対して感謝と敬意を表します。
「最近の若い僧侶はだめだ!」などといい、若手僧侶に対してとにかく批判する方もおられます。もちろん、至らぬ点も多いのは確かなのですが、こうして伝統にあぐらをかくことなく、現状に危機意識を持って、新しい試みに挑戦し続ける若手僧侶もたくさんいるということを是非しってもらいたいです。

宗派を越えたこの企画、読売新聞や、本願寺新報にもカラーで掲載されました。この写真は、禅宗ならではの応量器での食事作法を、現物を用いながら説明しているところです。皆さん興味深そうに聞いておりました。

さて参考までに、この写真は浄土真宗本願寺派山口別院の大ホールです。(大ホールという名称なのかどうかはわかりませんが、知らないので仮にそう呼びます)
講演会場も100人以上入れるほど広いのですが、ここはさらに広いから驚きです。通常のお寺で言えば本堂にあたります。禅宗は基本的に地味なので、浄土真宗式の、ご本尊さま周辺の造りの立派さに驚きました。きらびやかな浄土を表しているのだそうです。
しかもものすごく広い椅子席。おそらく、曹洞宗にはこういう設備の公的な建物は、少ないと思います。大きな一寺院には、こうしたホールがあるお寺もいくつかありますが、その地域の要となる別院のような公的な施設で、これほど広い椅子席を備えた場所はまだまだ少ないのが現状です。
本堂に正座というスタイルは、確かに良い面もたくさんあるのですが、高齢のお檀家さんが敬遠する要因にもなっているのが現実です。足腰が弱った方でも、あるいは車いすの方でも、苦労することなくお寺に来て法要に参加し、そして長時間の法話を聞くことができる素晴らしい設備だなあ、と思いました。
とかくこうしたホール式の建物では、宗教的な荘厳さが感じられない、とよくいわれます。喩えるなら、安普請の葬儀ホールでお経をあげても、なんだか体育館や事務室でお経をあげているようなよそよそしさがあり、ありがたい雰囲気が生まれにくい、というのです。お寺の本堂が、そうした格調高く、心が落ち着くようなありがたい雰囲気に満たされているのはよくわかるのです。
反面、お寺の本堂に長く正座して座るのは体力が必要です。場合によっては座布団もない場合もありますから、脚をくずしても1時間経てば腰が痛くなってきます。また、多くの本堂では、お手洗いの設備も集まる人数に対して不十分な場合が多いです。
この大ホールは、長時間にわたり座ることが苦痛でなく、トイレも十分、いわゆるホールの機能性と、本堂のおごそかな宗教的雰囲気を両立させているなあ、とうらやましく思いました。
お寺に椅子を導入することについて、さまざまな意見が聞こえてきます。私自身も、安易な椅子化に全面的賛成というわけではありません。しかし、「お寺に行って話を聞きたいけど、座っているのが苦痛で・・・」と敬遠する方にとっては、少なくともこの施設なら安心して参加できるだろうなあ、と感じました。
今回の経験は、宗派が異なるため、用語の意味や作法などの違いも多く、とまどう場面もありましたが、私自身非常に有意義な経験をさせていただきました。本当に良い勉強になりました。
こうした宗派を越えた交流が増えることを願っております。

場所は変わって、3月半ばに行われた、地元ロータリークラブでの法話。プロジェクターで資料を投影しながら精進料理の教えをお話ししました。

4月中旬に行われた某寺での法話。本堂で行う場合にはきちんとお袈裟をつけ、礼拝ののちにお話しします。
今回は精進料理の話ではなく、お檀家さんが興味を持っているお葬式と法事についてのお話しをいたしました。
こういう場合、お寺独特の曲ろくという赤い椅子に座ってお話しすることが多いのですが、私はあえて椅子を使わず、立ってお話しします。その方がみなさんによそよそしさを与えず、親しみをもって聞いていただけるように思うからです。
以上、ここ数ヶ月の主な活動をご紹介いたしました。
この3ヶ月間はすっかり精進料理の活動から離れていたわけですが、これからは以前同様、再び精進料理道に励んでいきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
Posted by 典座和尚(管理者) at 22時15分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2009年03月02日(月)
イベント「東京禅僧茶房」と典座和尚ラジオ出演のお知らせ [お知らせ]
「東京禅僧茶房」という企画が、明日から5日間開催されます。
「禅」を一般の方に体験・理解してもらうことが目的で、今回はあえてお寺を会場にするのではなく、実際に普段喫茶店として営業しているカフェの店舗を借りて行われます。
禅に興味はあるけれど、お寺に行くのはちょっと敷居が高くてなあ、服装はどうすればいいかわからないし、作法も難しそうだし・・・と思っていた方のためのイベントと言っても良いでしょう。肩肘を張ることなく、気軽に立ち寄ることができるのが魅力です。
主催者は曹洞宗総合研究センターに籍を置く若手?僧侶たち。日頃、いかにして曹洞宗の教えを一般に布教していくかという問題について、いろいろな角度から研究・実践している方たちです。ふだんは、すごく難しい仏典などの研究にも取り組んでいる彼らですが、そうした研究を、単に難しいままで終わらせるのではなく、それをどうしたら皆さんにわかりやすく伝えていけるだろうか、という点を試行錯誤しておられます。
今回は、随分前から企画・準備に時間をかけ、万全の体制でオープンするとのこと。
とても楽しみです。
今回のカフェスタイルで禅を紹介しようとする試みは、まさに今までの殻をやぶるパイオニアスタイルであると思います。
もちろん伝統的なスタイルにこだわる姿勢は大切なのですが、こうした、広く一般に興味を持ってもらえるような試みはとても価値があると思います。みて下さい、この紹介サイトのデザインを。まるで女性誌の誌面のような色使いと配置。若い年代の方にも興味をもってもらおうという工夫が感じられます。こうした若々しいセンスは、私のようなオヤジにはない感性なので、うらやましい限りです。
場所は東京都文京区小石川にある「nagaya cafe さと和」。
希望者には坐禅や写経などの禅体験も申し込めます。
また若手僧侶による、精進料理や坐禅、ファッションやインテリアなど奥深い禅文化をテーマにしたトークショーも行われます。
またカフェ内部に禅僧の部屋を再現したスペースが用意されるなど、お茶や軽食を楽しみながら禅寺の空気感も味わうだけでも価値があります。
あるいは、店内にいる知識豊富な禅僧に、勇気を出して声をかけてみるのも良いかも。禅に対する疑問、質問、意見、または単なる世間話でも、とりとめのない話でも、普段接する機会があまりない禅僧との交流も楽しめます。
また、来場者には、日常に活かすことができる禅を扱った特製の小冊子も配布されます。部数に限りがあるようなので、早めにどうぞ。
土曜日はやはり人気なようで、すでに予約が一杯のようですが、平日はまだ空いているようです。是非、仕事帰りに立ち寄ってみてください。
「東京禅僧茶房」のホームページはこちらです
具体的なイベントの紹介はこちらです

精進プロジェクトの紹介や連絡先はこちら
(なお、上記のイベントは、ともに仏道を歩む私の仲間が運営しておりますが、当方は直接関わっておりません。具体的な問い合わせ等は、上記ホームページでご確認ください)
また、別の話ですが、当方がラジオに生出演(電話による出演)します。
3月4日の早朝、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」内で、
午前5時45分ごろから10分弱の出演です。精進料理の心について、生島氏からの
質問に応対する形の内容です。
生島ヒロシ氏のおはよう一直線はこちらです
朝早くて恐縮ですが、私の生声が聞きたい方???は、是非どうぞ。
ラジオ出演はこれで3度目ですが、原稿などの文章系と違い、何度やっても不安で緊張するものです。うまくいけばいいのですが・・・。
Posted by 典座和尚(管理者) at 11時56分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 1 )
2009年02月15日(日)
旬のレンコンを使った精進料理2品 [季節の精進料理]

平成21年2月11日、朝日新聞朝刊「ひと」欄に「精進料理を通じ食の大切さを伝える僧侶」として記事が紹介されました。
「料理はいくら手をかけても食べればなくなってしまう。だからこそ丁寧に精一杯作ることが大切」という当方のモットーからの書き出しで始まっております。
人生と同じで、命も、料理も、いつか消えてしまうわけですが、限りがあるからこそ喜びもあり、また励もうとする意欲もわくと思っております。

また、2月の毎週土曜日、7日、14日、21日、28日と、朝日新聞土曜版be「スマートくっきんぐ」にて、精進料理レシピを連載しております。
どうぞみなさん、精進料理に興味ある方は、この際ですから朝日新聞を購読なさっては?
ところで、2月に入ってすぐ、インフルエンザにかかってしまいました。当地ではかなり流行しており、中学校などが学級閉鎖になったと聞いていたため、気をつけてはいたのですが・・・。医院に行くと、インフルエンザ患者がたくさん受診しておりました。私が点滴を受けている間に、3人ほどインフルエンザ陽性と診断され、薬の飲み方を教えてもらっている声が聞こえてきました。もう流行も今シーズンは末期のようですが、どうぞみなさまお気をつけください。つらかったですよー、インフルエンザは。
さて、インフルエンザだけでなく、この時期は風邪にも注意しなくてはいけません。
そこでお薦めなのが、ビタミンCが豊富なレンコンの料理です。
レンコンは11月〜3月くらいが旬ですが、今頃になると値段がぐっと安くなり、大きなレンコンも比較的安価で手に入るようになるのでお薦めです。
買うときのポイントは、穴の周りが黒かったりカビっぽい色をしていたりするものは避けること、切り口が黒ずんでいない、新しめのものを選ぶこと、皮が不自然に白っぽいものは漂白してあり味が落ちるので避けること、そして同じくらいの値段のものがいくつかあるときは、皮の部分がなるべく平らなものを選ぶことです。なぜならば、皮の部分に凹凸が多いと、皮をむくときに余分に身までむいてしまうことになり、もったいないからです。
実はレンコンはとても栄養豊富な食品です。みかんの1.5倍と言われるほどビタミンCが多く、100gで一日に必要なビタミンが摂取できます。ビタミンCは加熱に弱いのですが、レンコンはでんぷん質が多いので、加熱してもビタミンCが失われにくいのが特徴です。いうまでもなく、ビタミンCは疲労回復、風邪の予防、美肌効果などの効能があります。
またビタミンB12という貧血や肝臓に良い栄養分も多く含まれています。
他にも、食物繊維豊富で胃腸によく、高血圧や滋養強壮にも効果があるといわれます。
昔はれんこんのしぼり汁はタンを切り、咳を止めると言われ重宝されたこともあります。
そんな良いことづくめのレンコン、今日は簡単にできてしかもおいしい料理を紹介します。

◎揚げレンコン
・レンコン200gの皮をむき、丁寧にすりおろす。
・しるけを軽く絞り、片栗粉小さじ1杯、塩少々を加えてよく混ぜる。
・団子状にまるめ、180度の油で周囲がきつね色になるまで
1〜2分揚げる。
・口の中でとろけるモチモチ感と、レンコン本来の甘みが最高です。
揚げたての熱いうちに召し上がってください。
お好みで、ポン酢や辛子などをつけても良いのですが、
あらしおを少し振るだけの方が、レンコンの素材自体のうまさが引き立ちます。

◎揚げレンコンの吸い物
・鍋で昆布ダシ400ml、酒50ml、粗しお約1g、薄口しょうゆ小さじ1杯を
弱火で2分ほど加熱する。
・さっき作った揚げレンコンを、ざるに入れ、熱湯をたっぷりかけて油抜きし、
うつわに入れ、汁を張る。または、冷め切っている場合は、熱湯の鍋に
揚げレンコンを入れて1分ほどゆでても良い。
・添えものとして、今の季節ならたとえば菜の花などを塩ゆでして
いろどり良く添える。
※揚げレンコンは、暖かいうちに食べないとおいしくありません。
時間が経って冷めてしまったら、この吸い物仕立てがお薦めです。
暖かい汁をかけることによって、おいしさがよみがえります。
※レンコンの中に、細かく刻んだくず野菜や、ひじき、里芋やゴボウなどの
煮物の残り、ぎんなんなどを加えて具入りにしてもおいしいです。
こんな寒い季節は、栄養たっぷりのレンコン料理で身も心も暖まって、
風邪を遠ざけてはいかがでしょう。
Posted by 典座和尚(管理者) at 22時30分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2009年01月14日(水)
素晴らしき映画「ZEN」を拝観しました [典座和尚のひとりごと]
平成21年1月10日より、中村勘太郎さん主演、道元禅師の御生涯を描いた映画「禅」が全国各地の劇場で公開されています。今日、いせさきムービックスに足を運び、拝観してきました。

じつは昨年10月に予告編を拝見する機会がありましたが、短い予告編をちょっと見ただけでもかなり期待できそうな内容だったため、公開日を楽しみにしていたのです。
しかし公開直後の連休は都合がつかず、予定がなにもない日ができるまで先延ばししていました。今日はなんとか都合がつきそうなので、前々晩に席の予約をしていました。
ところが朝起きると大雪。本来ならば境内の雪かきをせねばならないのですが、今日を逃すといつになるかわかりません。最低限の雪かきだけして、後の除雪は本尊さまにおわびして一路映画館へ向かいました。



↑夜明け前の積雪状況 植木もすっかり埋まってます
雪で車が渋滞することを見込んで、早めに出たのですが、開演30分前についてしまいました。しかし直前に入館すると、すでに着席している方の前をかきわけて自席に就くのがいやなので、これくらい早めに到着する方が、心のゆとりができて気分的に良いです。上映される場所は、ざっと150人くらいのキャパでした。お寺の檀家さんを引率して大勢の団体で来るのはちょっと難しいように思いました。
お客さんは、5〜60人くらいだったと思います。前から3列目までは、誰も座っていませんでした。まあ、平日の午前中の部ですから、一番すいているのだと思います。
ちなみに伊勢崎ムービックスでは、その日の第一回目の上映は割引料金になるので、予約指定席で1200円でした。
和尚さんらしき方が2,3人おられました。永平寺の修行時代の後輩もご夫妻で来ていました。
YOUTUBEの予告編 画面中央の三角印をクリックしてください
YOUTUBE 中村勘太郎さん、内田有紀さんインタビュー
映画ZEN公式サイト
ヤフー映画 ZENのヒロイン 内田有紀さんインタビュー記事
さて肝心の内容ですが、正直言ってたいへんに素晴らしい内容でした。
細かいところの突っこみはいくつかありますが、そんなことはどうでも良くなるくらい、息をのむ展開と、感動の連続に、「え、もうおしまい??」と思ったほど、時間を忘れてのめり込みました。
全編に渡って、涙なしでは見ることができません。必ず、ハンカチを持参することをお薦めします。私は溢れる涙を止めることができませんでした。
ちなみに、隣に座っていた見知らぬご夫婦、開演前は、ポップコーンをパクパクと食べ、飲み物をゴクゴク飲み、「やっぱ映画はこの組み合わせが最高だね」なんて言ってましたが、開宴とともにその手は止まり、終わった後「いやー、あまりのすばらしさにポップコーン食べるヒマもなかったよ。ほとんど残っちゃった」「そうよね、この映画を見ながらたべちゃあ失礼だわね」と言ってました。まったく同感です。
もちろん、良い映画だと思うかどうかは、個人の感性によって違いがあります。なかには、つまらないと思う方もいるかもしれません。まったく道元禅師のことを知らない、または興味が無い方がみた場合は別として、少なくとも道元禅師に対する想いというか、思い入れのようなものがある人が見た場合には、非常に心を打つ内容ではないでしょうか。
いわゆる「宗祖の伝記もの」や「宗派のPR映画」という、ありがちな内容は一線を画したできばえです。道元禅師の願いと、その純粋な求道心がいたいほど伝わってきました。
実は、この映画は曹洞宗という組織自体が企画したものではありません。もちろん最終的に協力はしていますが、(知り合いの和尚さんのお顔も、数名エキストラで登場してました)もともと曹洞宗内の有志が企画したものだそうです。
批判するわけではありませんが、宗派の公的機関が中心となって計画した場合、立場上どうしてもおかたくなってしまったり、各方面への配慮などから過激な表現ができなくなり、無難な内容になってしまうことがありますが、今回はそうでなく、比較的自由な立場で制作された経緯から、こうした素晴らしい内容の映画ができあがったのだろうと愚考します。
ただ1点だけ老婆心ながら蛇足を申し上げれば、曹洞宗の僧侶が拝観する分には特に問題ないのですが、一般在家の方が見る場合、ぜひとも事前に道元禅師のかんたんな略歴を予習してからご覧になることをお薦めします。
もしお寺の企画などでお檀家さんと一緒に見に行く場合、できれば和尚さんが前もって道元禅師の略歴や、知っておくべき点をお話ししておいた方が良いと思いました。
あまり説明的な場面が多い映画は二流なのだとおもいますが、そうはいっても、何も知らない方が見たら、おそらく理解できないだろうなあ、と思われる専門的な語句や、略歴を知っていた方がよりよく理解できるであろう場面の切り替えや展開などが少なからずありましたので。
ちなみに当典座ネットトップページから、「永平寺と道元禅師」のコーナーをクリックすると、道元禅師の略歴が紹介されています。
または売店で販売されている映画のパンフレットを購入し、開演前に読むのも一案です。(しかし、きちんと読むには三〇分はかかると思いますが)あるいは公式サイトをよく読んでからいくだけでもだいぶ違うと思います。
この映画を拝観し、ものすごく「和尚としてのやる気」が湧きました。
つまり、映画に刺激を受け、「俺もがんばらなくちゃ!」と発憤したのです。
道元禅師の生き様をあらためて目の当たりにし、自分自身の僧侶としてのあり方を反省し、初心を思い起こして、今年一年精進していこうという気になりました。
そういう意味では、一年の初めに見る映画として最高の映画でした。
映画制作に関わった多くの方々のご苦労に感謝いたします。
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さて、ここまでは、なるべく具体的な映画の内容には触れず、漠然とした感想のみを書きました。まだ見ていない人にとっては、見る前に内容を書かれてしまったらつまらないでしょうから。
しかしここから先は具体的な感想や意見を書きますので、映画の内容が一部わかってしまう表現が含まれます。
ご覧になりたくない方は、ここから先はどうぞお読みにならないよう御警告いたします。どうぞご自身の拝観後にふたたびお読み下されば幸いです。
なお、場面紹介の中のセリフは、記憶に頼って書いたものですので、作品中のセリフとそっくり同じではありませんが、意味はだいたい合っていると思います。
映画のみどころはそれこそ書ききれないほどたくさんありますが、その中で特に深く心に残った場面が2点。
一つは、映画のはじめのあたり。
中国(宋)に渡った道元禅師は、正師(しょうし・真の仏法を伝える素晴らしき師)を求めて各地を行脚します。しかし、なかなか求める師に出会うことができません。
ある大きな寺で、キンピカの御袈裟を身にまとった高僧に拝謁する道元禅師。
(その高僧は私が好きな西村雅彦さんが演じています)
道元禅師は、自分が悩み、迷っている胸の内をさらけだしてその高僧に問いを発します。ところが、返ってきた答はあたりさわりのない、なんとも空虚な答。
高僧は「じゃあ、すまんけどこの後国の役人と会う約束があるから、この辺でいいかね?お寺を守っていくには、そういうことも大切なんでね」と席を立とうとする。
道元禅師は、「それでは寺を守れても仏法を守ることはできないのではないでしょうか」と糺しますが、フンと立ち去ってしまう高僧。「あなたは結局自分を守りたいだけだ・・・」と地を叩く道元禅師。
現代の住職、そして寺院のあり方を鋭く批判しているこの場面、自分自身深く感じ入るところがありました。やはり正しき仏法があってこそ、寺を守っていく意義があるわけで、仏法をまげてまで寺を守っても本末転倒であります。求めるべき寺院経営とはなんであるのか、今後よくよく考えていかねばなりません。
そこには自己保身という欲望がからんでくるのでやっかいです。
もう一つは、映画の終わりの方。
藤原竜也さん演じる北条時頼の苦悩を救うため、永平寺から鎌倉に赴いて法を説く道元禅師。
時の権力者である北条時頼に対し、適当に調子を合わせてごまをすりお茶を濁すようなことはせず、臆面もなく時頼の間違いを指摘します。
「あなたは、救われたい救われたいと望みながら、一方で何も捨てる勇気がない臆病者なのだ、片方の手で権力をつかんだとき、もう片方の手では苦しみをつかんでいるのだ」「どんなに高い地位や富を得ても、命が尽きて旅立つ時にはそれらは何の役にも立たない。ただ自分の積み重ねてきた行為だけがついてまわるのだ」
こうした説法に、時頼は「この無礼者が〜〜」と道元禅師を切り捨てようとします。しかし道元禅師の命をかけた説法の気迫と熱意にうちほだされ、次第に道元禅師の教えを理解しようと努めるようになるのです。
そしていよいよ永平寺に帰ろうとする道元禅師に、時頼は「決めた。わたしはここ鎌倉に、どこにも負けない大きな寺を建立する。道元禅師、ぜひともこのまま鎌倉に残り、その寺の開山(初代住職)となってくれないか」と破格の申し出をします。
ふつうならそんな願ってもない好条件、しっぽを振って喜ぶところでしょうが、
道元禅師はきっぱりと「いえ、お断りします。私の帰るべき寺は、ちいさなちいさな永平寺なのです」と断るのです。
これはさきほどの西村雅彦さんのシーンから貫かれているテーマだと思いますが、道元禅師が望んでいるのは、建物だけ立派で、人数も大勢いるかわりに中身がない建前だけの仏法ではなく、たとえ伽藍や設備はささやかでも、真の仏法を喜んで実践している少人数の修行僧こそが大切だったのです。まさに名誉や権力を避け、純粋な仏道に生きた道元禅師ならではの答だったと思います。
私自身、ともすれば「大本山永平寺」で修行しました、ということをいかにも表だってピーアールしているふしがあることを反省しなくては、と思いました。
法要があれば「大本山永平寺の〜〜」と御導師さまを紹介しますし、私も講演では「大本山永平寺別院のもと典座〜〜」と紹介されます。見ている人は、「へーすごいね」って思うかも知れませんが、それはあくまで永平寺に対してすごいと思っているのであり、私個人に対する評価とは別なのだと自覚しなくてはいけません。
確かに「大本山」という金看板は、外部に対し非常に効果が高い、わかりやすいいわばブランドなわけですが、大本山を大本山たらしめているのは、結局は個々の修行僧の中身次第なのだと思います。ブランド名だけに頼って、何もない自分を飾っても、しょせん看板倒れになります。
その意味で、映画で道元禅師が「ちいさなちいさな永平寺」とおっしゃった点を、よくよく心に留め、安易に「だいほんざん!」と権威づけることがないよう、自省したいと思います。
さて、さらにもう一つ、どうしても言いたい、気になった点があります。
当ブログのテーマでもあります、永平寺の精進料理の原点についても、映画では描かれています。
道元禅師が調理係の重要性を説いた典座教訓を著し、のちに永平寺の第3代住職となる義介禅師に典座の役を命じます。
義介禅師が台所で典座教訓を拝読してから調理を行うシーン。
典座の義介禅師を、俊了さんという修行僧が補佐して調理をしています。
大根の葉っぱを、慣れない手つきでまな板の上で切る義介禅師。
俊了さんは、義介禅師にこう言います。
「台所の仕事が大切な修行だってことは、頭ではわかってるんですけどね・・・。でも台所係の私たちは、坐禅をする時間がありません。他の仲間が坐禅を続けている間に料理ばかりして、皆においていかれるんじゃないかと心配なんです」
その悩みに対し、義介禅師は(どうも自分自身も納得していないような?ようすで)
「だったら皆が眠っている時間に坐禅をすればいいじゃないか」と答えます。
実際に、典座教訓には、典座役の修行僧に対し、料理だけでなく坐禅もしっかりしなくてはいけない、そのためには寝る間も惜しんで修行するのだ、と勇気づける文言が書かれていますから、このセリフはおかしくはないのですが、でももし私が脚本家だったら(!))「だったら皆が眠っている時間に坐禅をすればいいじゃないか」ではなくて、こう言うセリフにしたかったです。
「こうして大根を切るのが私たち典座の坐禅じゃないか」 と。
つまり、オリジナルのセリフだと、坐禅と調理が別物だというような意味にとれてしまうのが残念に感じる点です。
もちろん、祖録を精査すると、厳密には坐禅と調理は別なのですが、しかしあえてここはそうした専門的な差異はには目をつぶり、映画で調理係の大切さを訴える場面を加えた以上、真剣に調理することが料理係にとっての坐禅であり、坐禅とおなじような境涯で調理する必要があるというシーンにしてほしかったなあ、と思いました。
(もちろん、門外漢の私はそのような文句言う立場にはありませんので、あくまでも個人的な意見としてです)
さて、だいぶ長くなってしまいましたのでこのへんにします。
どうぞ、皆さん劇場に足を運んで、この素晴らしき映画を是非ごらんください。
Posted by 典座和尚(管理者) at 23時48分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 3 )
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