お盆に無縁のみたまへの慈悲心を

無縁のお墓にもお心を

毎年草刈り作業を行う、お寺が管理している古い墓地へ続く道の片隅に、草で埋もれた小さなお墓があります。
誰のお墓かわかりません。
私が住職になり見つけるまではずっと草に埋もれたままでした。ここ二十年ほどは、おそらく子孫も誰一人墓参したようすはありません。いわゆる、放置された無縁墓です。
私が草刈りをしなければ、ずっと草に埋もれたままです。

皆さんそれぞれの家で、お盆中にはお盆棚やお仏壇、お墓に向かって手を合わせ、ご先祖様や、亡きお爺さんお婆さんを供養しておられるでしょう。

その際、こうしたもう誰も供養してくれなくなってしまった無縁の霊に対しても、ちょっとだけで良いので気持ちを向けて頂きたいのです。お線香を1本だけ、お供え物のお菓子を一つだけでも良いので、「これは誰とも知れぬ、無縁の仏さまの分」と念じてお仏壇やお墓、あるいはお寺の観音様やお地蔵様などの前にお気持ちを捧げて下さい。
その僅かな慈悲の気持ちで、救われるみたまがあるのです

曹洞宗の施食供養法要では、供養が行き届いていない無縁の霊位を含めた三界の萬霊、一切の霊位をひろく供養し済度することで、その功徳を廻らせてお檀家さんが志す親しき方の霊を追善回向致します。

私はこの小さなお墓にも、今年も卒塔婆を立ててお線香を上げてきました。

自分の家だけが救われればそれで良い、自分の先祖だけが充分に供養されていればそれで満足、という狭い心ではなく、お盆の時にこそ広い慈悲の心を持って、見ず知らずの亡き方々にまで心を廻らし、手を合わせていただきたいのです。


今年のお盆ももう終盤ですね。

暑い日が続いていますが、皆様の御健康を祈っております。

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