ご飯をうつわに・・・何て言う?

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昨日の昼頃、NHkラジオから興味深い話題が聞こえてきました。

「ご飯をうつわに盛りつける」ことを何と言うかを調査してみたら、地域によってかなりの差があることがわかった、というのです。


非常におおざっぱに分けると、北海道や東北はご飯を「盛る」、関西は「よそう」、九州は「つぐ」が多いとのこと。しかし実際は同じ地方の中でも複雑に分かれているようです。

ちなみにうちでは「よそる」といいます。

永平寺では、「ご飯つけて」とか「飯つけ」とか言う具合に「つける」といっていました。

調べますに、もともと、「盛る」というのは、「山盛りにする」というのが語源で、来客に対するもてなしの意味が込められているのだそうです。

「よそう」は、もとは「装う(よそおう)」が語源で、カラダに衣類をつけるがごとく、うつわにご飯をととのえるというちょっと上品な意味合いがあり、1000年ほど前にはすでに使われていたようです。

「よそる」は、「よそう」と「盛る」が混ざった言葉で、100年くらいの歴史しかないそうです。

ラジオでは、「ご飯を「つぐ」という地方があるようですが、「つぐ」は味噌汁のような液体の場合に使うのが本来の意味なのでは?」という出演者の発言に、「いやいや、昔の庶民は今のように日常的に白いご飯を食べることなどなく、普段はお粥やおじやのような液体に近い薄めた主食しか食べることができなかったのです。だからそのなごりでご飯を「つぐ」というのです。そうした歴史にも目を向けなくてはいけないのでは」と視聴者から反論が届いたり、また別の方から「「つぐ」というのは、食べて減ったうつわのごはんを「継ぎ足す」から「つぐ」というのでは?」という推論が出たりして、非常に盛り上げっていました。

どちらにせよ、なかなか奥深い研究テーマだなあ、と思いました。

その後話が脱線して、おかわりをする場合、うつわのご飯を全部食べてからおかわりする場合と、少し残しておく場合と、これも地方によって習慣がさまざまだという話題も出ていました。

修行道場の作法では、おかわりする場合はうつわのご飯お粥を全部食べてからでないとおかわりできません。無言で進められる道場での食事は、おかわりを配る係が桶をもって巡回するまでに、自分のうつわをカラにしておくことが、「おかわり下さい」の意思表示になるのです。そのため「継ぎ足す」ということはしません。

私が思うには、少し残しておくのがおかわりの作法、というのは、全部食べてしまってからっぽにすると、「もっとくれ!というはしたない意味」と、「少なくてたりないよ」という不満の意味を表すことになるために少し残すのだと思います。そして給仕する側は、客人のうつわがカラになる前に「もっとどうですか」と声をかけるのがもてなしの作法のような気がします。

そうした心配りはよくわかるのですが、そうはいっても、まだご飯が残っているうつわを給仕の人に差し出すのはちょっと私にはできません。ご飯を一粒も残さずきれいに食べたうつわでないと渡すのは抵抗があります。

ちなみに修行道場で行われる正式な食事作法では、お昼の食事の際、食べ始める前にご飯を数粒とりわけて、食べずによけておく「生飯(さば)」という作法があります。それを係が回収して庭にある「さば台」という石の台に乗せるのです。実際には鳥や虫などがその集められたご飯を食べるのですが、これは「自分だけが食べるのではなく、他者に分け与える気持ち」を表した行為です。

ともかく、日頃何気なく使っている言葉に、さまざまな歴史や意味が隠されていることを再確認しました。道元禅師は、『示庫院文』にて、「粥は「御粥」と申すべきである。」と説かれました。

「お粥」と「お」をつけて呼ぶことで、食事に対する感謝の念を表すのです。

たとえその隠された意味がよくわかっていなくても、「お粥、お粥・・・」と繰り返しいうことによって、あとからその意味がわかってくる場合もあるでしょう。「メシ!」なんていわずに、ぜひお子さんにも「ごはん」「おこめ」というように教えてあげて欲しいと思います。

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