鏡開きのお餅を素揚げして

「鏡開き(かがみびらき)」、若い方は知らない人も多いそうで、たしかに現代ではあまり使われなくなってきた言葉です。

お正月に仏さまや神さまにお供えしたお餅を「鏡餅」と呼びますが、それを下げて食べるために割ることを「鏡開き」と言うのです。(ちなみに樽酒のフタを叩いて開ける際もそう呼びますね)

お供えのお餅はご存じの通り平べったいまん丸型です。神事で用いる丸い鏡に似せたことから「鏡餅」と呼ばれます。ちなみに三種の神器に模して鏡=丸餅、勾玉 =みかん、刀=柿の串刺を飾るという説もありますね。

丸くて大きなままでは食べにくいため、実際には包丁などで切ったりトンカチなどで砕き割って食べやすくする必要があるわけですが、そうしたありがたい鏡を「切る」「破壊する」というマイナス表現を避け、未来に向かって発展する意をこめて「開く」と呼ぶのですね。武家社会が長く続いたことから、お正月早々「切る」のは切腹を連想させて良くないという意識もあったでしょうね。鏡開きの割れ方でその年の吉凶を占う地域もあるのだとか。

いつお餅を下げるかはさまざまな由来がありますが、世間一般では1月11日に行うことが多いようです。

ただ、正直申し上げて11日に鏡開きを行ったのでは遅いのですよ。なぜその日に行うかという伝統や歴史的根拠を否定するつもりはありません。しかし暖房がよく効いた室内にお供えしている現代では、あまり長くお供えしておくと

1 乾燥しすぎてお餅がバラバラに砕けてしまう

2 カビが生える

という弊害が生じてしまいます。1はまあ我慢できるとしても、2のカビは健康に直結するため無視できません。以前みたテレビ番組では、餅の一部に目に見える黒カビや緑カビが出ていたら、たとえその部分をしっかり除去しても、内部に大量のカビがありどうやっても取り切れないのだとか。まあ生で食べるわけではありませんし、実際にどのくらい体に悪いのかはわかりませんが精神衛生上良くないことは確かです。

せっかくのお餅がカビてしまっても、しきたりを重視して長くお供えする方が良いのか、食べ物を無駄にしないで美味しくいただくために多少早めに下げる方が良いのか、それはまあ個人の考え方次第でしょうね。

ちなみに私は胸を張ってカビないうちに下げて無駄にしない派です。うちの仏さまは、きっとその方が満足なさると思っております。

ということで一月七日のお寺の新年会が終わったら下げるようにしています。 なお当地の本堂は暖房がほとんど効かない極寒の地ですが、それでも十一日までお供えしておいたら確実に積み重なった部分にカビが生えますね。七日ならば大丈夫です。

そして下げた鏡餅は焼いて食べたり、きなこ餅にしたり、おしるこにしたりと美味しくいただく方法がたくさんあります。修行道場では朝のおかゆに混ぜていただいていました。永平寺や永平寺別院ではお供えする仏さまの数も多く、また鏡餅のサイズも特大なので下げたお餅も大量で、細かく切った後冷凍して数ヶ月はお餅入りのおかゆを味わうことができました。暖かくなってきた春先に、お餅が売り切れてノーマルおかゆに戻るとなんだかすごく寂しい気持ちになるんですよね・・・。

鏡餅を素揚げに

なお今年は細かく切って油で揚げていただきました。奥はインドのスパイスをまぶして味に変化をつけてあります。一部固くてかみ応えがあるものが混じりますが、これは古来歯を固めて一年の健康をもたらすといわれるありがたい堅さなのです。お餅なので腹持ちもよく、ついつい手が止まらずパクパクと。

都会の住宅では、お供えのお餅自体をなさらないことも多いのだとか。お下がりのお餅をどう食べようかなあ、とあれこれ工夫する楽しみを、この時期の風物詩として大切に伝えていきたいと思っております。

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