国連の昼食会合で「ごみ」提供、食べものの無駄訴え

先月末、AFP通信から「国連の昼食会合で「ごみ」提供、食べものの無駄訴え」のタイトルでこんなニュースが配信されました。(9月28日11時1分配信、一部引用)

<<高級料理に慣れている世界の指導者たちは27日、国連本部での昼食で驚くべき料理を提供された──ごみだ。世界の首脳らはこの日、パリで12月に開催が予定されている国連気候変動枠組み条約の第21回締約国会議(COP21)に向けた話し合いを行っていた。

昼食を担当した料理人たちは、現代人の食生活にみられる多大なる無駄が、世界的な気候変動に影響を与えていることの再確認につながることを願い、本来なら廃棄処分されるはずだった材料のみを使って料理を完成させた。

国連本部で提供されたのは、野菜類の絞りかすを原料とするベジタブルバーガーなど。果汁などを抽出する調理法では通常、果肉の大部分が無駄になってしまう。バーガーに添えられたのは、でんぷん状のトウモロコシから作られた「コーンフライ」だ。

このメニューは、米ニューヨークのレストラン「Blue Hill」の共同経営者で、著名な料理人のダン・バーバー氏が、米ホワイトハウスの元アシスタントシェフ、サム・カス氏とともに考案した。

バーバー氏は、「通常なら捨ててしまうものから、本当においしいものを作り出すことへの挑戦」と語り、今回の昼食会のようなイベントを通じて、食文化が徐々に変わっていくことを期待しているとしながら「長期的な目標は、残飯から食事を作らないようにする(作ることができなくなる)ことだ」とコメントしている。AFPBB News>> 以上一部引用部分

曹洞宗の精進料理では800年前から、食材を無駄にせず活かしきる考えに基づいて調理を行ってきました。それは食材にも尊い「命」があり、その命を私たちはいわば奪ってしまうわけですから、その命に対して重い責任を負うわけです。無駄を出さないよう配慮して作るのはもちろんのこと、食べる際にもその食材の命に敬意を忘れず、その命の重みにふさわしい、世のために役立つような良き行いを積むことを誓っていただくのです。

かつてバブル期にはフレンチやイタリアンといえば豪華でぜいたくな料理の象徴、というイメージがありました。その時の印象が強すぎたせいか、わが国では現在でも和食は質素で西洋料理は豪華、というステレオタイプな固定概念が根強いのではないでしょうか。

しかしこのニュースが伝えているように、海外でも「食材の無駄な廃棄」を問題視する料理人が出ているのです。西洋料理は豪華で無駄もおかまいなし、というような間違えたイメージはもう捨てるべきです。洋の東西にかかわらず、真剣に料理に向き合っている調理人ならば、目の前で食材を無駄にするような調理法は何かしら心が痛む気持ちはよくわかります。たとえばご家庭でも、野菜や魚、肉などの切れ端はスープに入れて煮込んでしまえば、和食の味噌汁よりもポタージュや料理にかけるなどドロッとしたスープの方が見栄え的に目立ちにくくなる上に深い味が出しやすいので向いているようにも思います。

このニュースが報じているのは「人口増加問題や環境、気候変動による食糧不足に対する一つの対策」としての活動のようで、食材や食べる者のいのちそのものを考える精進料理とは視点が異なりますが、結果的な部分では相通じるものがあると思います。

ただちょっと気になるのは、ニュースのタイトルが「ごみ」を提供、とした点ですね。まあ読者の気を引くために印象的なタイトルにしたいのは理解できますが、精進料理ではそもそもそれを「ゴミ」だと認識しない、という立場を取ります。おいしい部分、要らない部分という区別は人間の勝手な都合で、野菜にとってはどこも欠かせない命であるのです。『典座教訓』でも、食材の価値を人間が軽々しく線引きすることを誡め、平等で公平な目で正しく食材を扱うことを説いています。
「ゴミ」を嫌々無理して食べるのでは無く、そもそもその部分は「ゴミ」ではないのだ、という認識からはじめるのが精進料理なのです。

国連の会議に出席した各国の指導者がこの料理を食べてどのような反応を示し、そして受け止め、自国に戻ってそれをフィードバックしていくのかが気になります。少なくてもわが国では、会議でそれを食べた人の感想や意見、それを世に広めていくような発信は今のところ眼にできません。単発のイベント的な扱いで終わってしまったのはあまり意味がないように思いますので、せっかくのこうした取り組みをもっと広報すべきだと思います。
「なんだかもったいないなあ」と日頃の料理で感じている人は少なくないと思います。でも捨てている野菜のヘタや切れ端をどう利用したら良いのかわからない、そうした人のために、たとえばこの会議で出た料理のレシピを政府が紹介するような発信があった方が良いと思うのですがいかがでしょうか。

今後、こうした取り組みが欠かせない時代がそう遠くない未来にやってくるでしょう。世界が精進料理の心に学ぶべき時代に入りつつあるようです。

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