手打ちソバ その1

 はやいもので、あっという間に12月も1/3が過ぎ去りました。今年も残すところわずかとなった今、年内に済まさなくてはいけない多くの雑事に追われる今日この頃です。 さて、日本の良き習慣として、大晦日に年越しソバを食べる風習があります。

どうして年越しにソバを食べるようになったのかについては非常に多くの説があり、どれが正しいかはもはやわかりません。その中でいくつかを紹介すると以下のようなものがあります。

○ソバの細長さにあやかって、来年も長生き=健康であるよう。

○つなぎの粉を混ぜずに打ったソバ(10割ソバ)は切れやすいことから、

悪運や苦労、災いを切り捨てるという願い。

○荒れ地や天候不順でも育つ強い作物であるソバにあやかり

苦労や困難を乗り越えて頑張るという願い。

○ソバは体に良いため、来年の健康を祈る願い。

○金銀細工の職人は、年末になると工房の床に落ちた金銀のかけらを

ソバの団子を転がして貼り付けながら集める。それにあやかって、

ソバがお金を集める縁起物とされるようになった。

他にも色々起源説があるようですが、非科学的でこじつけや縁起かつぎのようなものがほとんどです。逆に言えば、それくらい昔から続いている風習であるということができます。大昔から行われている作法や風習の中には、合理的な理由があるものも中にはありますが、多くは似た言葉などにあやかって人々の祈りや願いが込められている場合が多いように思います。

上記のさまざまな起源説はさておき、私はこう考えています。

かつて一般庶民の食生活というと、お粥やおじやのような液体に近い物が主食でした。それは少ししかないお米や穀物を、水気を増やすことによってかさを増して食べていたためです。ご飯を食べるというのは特別な時だけでした。その上、白米はほとんど庶民の口には入らず、あわやひえなどの雑穀が中心でした。そんな中で、特に麺類というのは手間もかかるため、特別なごちそうだったのです。今でこそ、駅の立ち食いソバのように時間がないときに安くサッと食べることができるファーストフード的な性格を持つ麺類ですが、かつては普段は口にすることができないハレの食だったのです。

禅寺では、今でもお祝いごとの際には「祝麺(しゅくめん)」とよんでうどんやソバを食します。普段は一切食器の音やかむ音も出さないように食べる禅僧も、このときばかりは音を出すことが許され、堂内に麺をすするおいしそうな音がズルズルッと響き渡るのです。

そうした麺類=手間がかかり、貴重な食材という意味で「ごちそう」という状況に、のちに「細く長い」という麺類の形状が、「長生き」とか「ご縁が長く続きますように」とか「悪いことがちぎれるように」というようなあやかりの意味が込められるようになった結果、特に麺類は慶弔行事で食べられるようになったのだと思うのです。今でも結婚式や葬式・法事の際には麺類はつきものとなっています。そのため、精進料理の調理人にとってはソバやうどんを手打ちできる技術は必須です。

この時期になるとテレビでカップ麺ソバのコマーシャルが頻繁に流れるようになります。いよいよ年末の雰囲気が高まってくるわけですが、やはり典座和尚としましては出来合いのソバではなく、手作りにこだわりたいところです。うどんに比べるとソバを手打ちするのは少々難しいのですが、やはりそこは慣れと場数です。手間を惜しまず、挑戦してみてはいかがでしょうか。

次回から数回にわたり、年越しソバに向けた手打ちソバの作り方を紹介します。

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