この秋行われた食育説法御報告~1

前回の更新からだいぶ間があいてしまいました。
この秋はおかげさまで講演や精進料理教室などの依頼が非常に多く、あちこち飛び回っておりました。

講演を引き受けた場合、依頼主や主催者の希望や講演開催の主旨、あるいは聴講者層などによって話の内容を考え、組み立て直し、資料や原稿を用意して講演にのぞみます。これが非常に大変な作業なのです。まれに、「ちょこっとお話しをお願いできませんか」というような頼みかたをする方がいるのですが、とんでもない、ちょこっとお話しできるほどの実力は私にはありません。不勉強な私ですから、一旦引き受けたら準備に何日もかかります。
そのため、講演が続いたこの秋、ブログ更新がしばらく滞ったのはやむを得ません。ご勘弁願います。

↑ 「永平寺の食育と精進料理~こころの時代をむかえて~」と題した某会主催の講演。
みなさん非常に親切にしてくださいました。ありがとうございました。

↑ 最後に会長さんから地元名産の「やまといも」をたくさんいただきました。レシピ研究に役立てたいと思います。

そんな中でこの秋にはちょっと変わった講演を引き受けました。ある都内のセレモニーホールより依頼を受け、聴講者の方々に対し「精進料理の心 まごころをこめた料理~良き葬儀との共通点~」と題した講演を行いました。葬祭業者が運営するセレモニーホールが会場なので、祭壇を背にしての講演となりました。ふだんの葬儀や法事の後の説法では見慣れた光景ですが、講演を祭壇の前で行うのははじめてです。

私が住職をつとめる寺がある地域は、近所の方々が手伝いながらすすめられる昔ながらのなつかしい葬儀スタイルが今でも行われています。もちろん手作りの精進料理も地域に伝えられており、葬儀では故人の祭壇にお膳をお供えし、その前後に会葬者などが同じ料理をありがたく口にします。皆でみなの暖かい協力と励ましの中で葬儀が行われるのです。
もちろん、都会でそうした葬儀のやり方を今さら奨めようというつもりはありません。そうではなく、葬儀や儀式の形は変わっても、その根本にこめられた心や伝えていくべき大切な気持ちといったものがあるのではないか、そしてそれは美味しい精進料理を作る際に必要なまごころと非常に共通点がある、といった内容のお話しをさせていただきました。
葬儀と料理を一緒にするとはけしからん、というお叱りを受けるかも知れません。しかし、道元禅師が示された料理の心は、良き葬儀にも通じるものがおおいにあると考えています。

田舎ならではの葬儀のようすなどの資料をプロジェクターで投影しましたが、みなさん普段なじみのない作法に驚かれていました。
現在、散骨や直葬など、新しい葬儀のやり方が広がっています。葬儀などの作法ややり方は、時代と共に変化していくものですから、今までにない新しい方法を否定するつもりはありません。しかし、ただ単に費用を節約するためだけに、安易にそうした方法に飛びつくのはいかがなものでしょうか。
葬儀は故人の人生最後を飾る大切な儀式です。だからこそ、葬儀はどんな意味があって、なんのために行うのか、それをよく知ることが大切です。意味を理解した上で、それでも必要ないと判断したならば、従来の葬儀を否定するのも選択肢のうちです。その大切な意味もわからずに費用節約だけを理由に葬儀を略してしまうことは大きな過ちであると思います。
もちろん、葬儀がどんな意味を持ち、何のために行われるのかをきちんと住職が説明できなくては話になりませんが。

今回の講演では、良い葬儀を行うには葬儀の意味や目的などをよく理解した上で、できることなら生前に住職や葬祭ディレクターとよく相談や打ち合わせをしておくことが大切であるという主張に皆さん頷いておられました。最後に主催者から花束を頂戴しました。お心遣いありがとうございました。

うって変わってこちらはとあるお寺で精進料理をお出ししたときの記録です。昔ながらのお膳に並べて手作りの料理を召し上がっていただきました。100人近くの大人数だったため、お膳が人数分ないのでよく見るとお膳の形がさまざまなのはご愛嬌です。

精進料理をいただいた後は、本堂で食育説法です。おいしい精進料理をつくる極意と、『典座教訓』に示された、なにごとを行うにあたっても忘れてはならない三つの心についてお話しいたしました。

まだまだ講演などの御報告は続きますが、長くなったので続きは次回にします。

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