ボランティアに行きたいけど

震災から1ヶ月以上が経ちました。あらためて被災者の方々にお見舞い申し上げます。
本日、当地でも時季外れの雪が降り、寺の周囲の山々も真っ白になりました。
被災地では再来した寒さにご苦労なさっていることと思います。

この1ヶ月、何人かの先輩や僧侶仲間から「一緒に被災地へ炊き出しに行こう」と声をかけられました。

自分で言うのもなんですが、数百人分の大量調理には自信がありますし、また屋外での仮設調理場での調理経験やノウハウも持っています。また東北地方には親族や修行時代の友人も多いため、震災発生後、現地に行って炊き出しや片付けなど、少しでもお役に立ちたいという強い気持ちが沸きました。

しかし、とある事情により現地に行くことはできず、残念ながらボランティアのお誘いもすべてお断りすることになりました。

実は4月1日から、地元消防団の責任者に就任しました。

火災が発生した際は現地に駆け付け、消防署員とともに消火活動を行います。
火災なんてそれほど頻繁に起きないだろう、と思うかもしれませんがそんなことはありません。とくに春先は、農地では土手を焼く作業が行われるため、その火が建物や小屋などに燃え移る火事が少なくありません。実際、今月も就任して1週間もたたないうちに隣の地区で畑の火が原因らしき火災が発生し、出動命令が出たばかりです。
その他、年度初めの数ヶ月は訓練や会合、研修など消防団関係の行事も多く、また当地でもほぼ毎日余震が起きているため、予期せぬ災害などに備える必要があります。

そのため、責任者としてはむやみに留守にするわけにもいかず、現地へ行きたい気持ちをぐっとこらえて断念したのが偽りのない実情です。

現地に行こうと誘ってくれた先輩や仲間のほとんどは、電話で説明すると事情を理解してくれました。しかし数名の方に「僧侶たるもの、こんな時に現地にいかないでどうする」「義援金だけでなく、実際に汗をながさなくては」「おまえは冷たい奴だな」というようなことを言われ、正直言って胸に突き刺さりました。

もちろん、誘うための電話のやりとりの中で出た言葉ですから、相手に悪気があったわけではないことはよくわかります。相手もそんなことを言ったこと自体おそらく覚えていないでしょう。
しかし、行きたいけど行けないという葛藤の中にいた私にとっては、かなりつらい言葉でした。

もちろん、いうまでもなく実際に現地に行ってボランティア活動を行っている方々は本当に素晴らしいと思いますし、その尊い行動に頭が下がります。
誰もがそれぞれの都合があり、また忙しい仕事も持っている中で、なんとかやりくりして現地に赴く姿は、広く称賛されるべきだと思います。

しかしだからといって、ボランティアに行けない人を軽くみたり、蔑むような言葉はいかがなものでしょうか。

私同様、事情があって「行きたいけど行けない」方はとても多いと思います。
「行った人は偉い、行かない人はダメ」というような単純な線引きは避けるべきだと思いますし、またボランティアに行った人の中で、もし行かない人に対してなにかマイナスの心情を持つことがあったとしたら、それは大変悲しいことだと思うのです。

仏教的にいえば、困った人を助けてあげることは「布施」の一種です。
布施というと金銭的なものばかりが注目されがちですが、行動による人的支援などもおなじく尊い布施です。しかしその布施にはいくつかの注意すべき点があります。「俺はこれだけの布施をしたぞ!偉いだろ!」というような慢心や、「俺はこれだけ布施をしたのにおまえはしないのか?」というような他人と比べるようなことは慎まなくては布施の功徳は成就しないのです。
(ただし、離れた地で何かあれこれ言っている人よりも、どんな態度でもいいし仏教的にどうであろうとも良いから、とにかく実際に現地に行って支援してくれる人こそが被災者にとってはありがたい、という現実はよくわきまえています)

もちろんほとんどのボランティアの方は、私が余計なことをいうまでもなく、純粋で清らかな心で現地に入っていると思います。しかし言葉というものは非常に不安定で、本人にその気がなくても相手を傷つけてしまうことがあるから、注意が必要だと思うのです。協力や奮起をうながすための言葉であっても、言い方一つで誤解されてしまう危険があります。

皆が同じ方向を向いて協力することに異論はありません。しかし、その方法や手段、考え方は人それぞれです。たくさん募金をしてもことさらに発表しない人もいるし、行きたくても行けない人もいる。それを表面だけみて、こんな時に何もしない人は自分のことしか考えていない、と批判するのは早計ではありませんか。

先日も福島から避難してきた子供が公園で「放射能がうつる」と言われたという悲しいニュースが報じられました。震災の被害で皆が苦しむ中、これ以上日本人どうしが互いを傷つけあうようなことがあってはいけません。

繰り返しますが、ボランティアをなさる方、なさった方はとても素晴らしいと思います。
でもだからといって、事情で現地に行けない人を悪くいうのはちょっと待ってほしい、ただそれだけです。

私自身は、現地に行けなくても、自分にできる範囲で支援をさせていただきたい、そう考えています。

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コメント

  1. 小林肇 より:

    お久しぶりでございます<(_ _)>
    わたしは「無理はしない」「自分の出来る範囲のことをする」でいいと思います。
    無理をして集中力が散漫してかえって迷惑をかけるわけにもいきませんしね。
    いろいろ多忙とは思いますがどうかご自愛くださいませ。

  2. タナカ より:

    初めまして。
     私も地元の消防団員でおまけに本部員という役目をいただき、
    同じような悩みを持っております。
    しかし、先のある会合で消防長の訓示に、貴方達は常日頃から
    地域住民の生命と財産を守っている崇高なボランティアを
    されているのですから、被災地へは出向くことができる方に任せて
    おけばいいのです、という言葉をいただきました。

     布施については『無財の七施』という用語もあります。
     金銭だけがお布施ではなく思うのですが・・・。
     
     最近の様々な風潮には首を傾げることばかり、こんな時こそ
    宗教界、仏教界が存在意義を示してほしいです。