お盆の迎え火に

今年のお盆も忙しくて目が回りそうな中、何とか大過なく終えようとしています。
本日15日、戦後70年の節目にあたり正午には寺の大梵鐘を9回鳴らし、寺の本堂に役員さん50人ほどが集まって戦没者・戦災犠牲者に黙祷を捧げました。

今年、お寺の近くの集落で13日の晩に花火大会が行われました。

平成27年高戸谷花火大会 平成27年高戸谷花火大会

平成27年高戸谷花火大会

昨年その集落の神社が住民の寄進により大改修された記念に、神社の境内で縁日のようなちょっとしたお祭りが行われたのですが、今年は若手が中心となってさらに企画を練り、昨年より規模を大きくしてお祭りと花火大会を実現させたとのことです。
うちの地域は過疎化が進み、人口も減っています。若い人はみな都会に出てしまいますが、お盆の時期には実家に戻ってくる人もいて、一時期でも賑やかに集まって盛り上がろうという意図もあったようです。
神社の境内には出店が数店並びますが、都会のようにプロの方が出店するのではありません。地元の有志が工夫してお菓子やクジ、飲み物食べ物などを手作りのお店として安価に提供し、数少ない地域の子供たちも喜んで無駄遣いをして盛り上がるのです。
そしてお祭りの後半、神社から見える河原で上がった大花火。さすがに花火はプロの職人に依頼しますが、一地域の住民だけでこれだけ立派にやりとげた努力に頭が下がります。

8月13日に迎え火を焚いてご先祖様や親しき故人のみたまを我が家にお迎えし、16日に送り火を焚いてあの世へ送り出すお盆の風習。(※地域により日にちや方法が異なる場合があります)
京都の大文字焼きは大規模な送り火として有名ですが、古くは江戸時代、徳川吉宗将軍が、飢饉や災害で亡くなった死者のたましいを鎮魂するために花火を上げたという故事もあるようです。
ちょうど8月13日の迎え火の日に夜空を彩った美しく幻想的な花火は、ご先祖様の素晴らしい迎え火となったのではないでしょうか。おそらくこの世に戻ってきたご先祖様もその趣向を楽しんで下さったことでしょう。

ただし、主催者側には花火を迎え火として上げたつもりはおそらくないと思います。
そうした設定は聞いていませんし、あくまでも私個人がそう感じた、ということを誤解のない様補足しておきます。

しかしながら「そもそも神社はお寺と別でしょ?」
とかいう野暮なことは、今回はいいっこなしです。
その神社の氏子さんも、ほとんどがお寺の檀家さんでもあります。
つまり家に仏壇と神棚が両方あるわけで、ときおりそれを批判する宗教学者もいますが、私はそうは思いません。たしかに神様と仏さまでは主旨が全く異なることくらいわかっていますが、神聖なもの、尊いもの、人間の力を超えた聖なるものを崇拝し、敬意を払い、謙虚に拝むということには変わりはありません。
神仏習合といった難しい言葉を知らなくても、お寺も神様も両方熱心に拝んで一生を送ってきたご先祖さまが戻ってくるお盆の夜に、子孫ががんばってきれいな花火を用意してくれた。
理屈抜きで良いじゃありませんか。

平成27年高戸谷花火大会

平成27年高戸谷花火大会

平成27年高戸谷花火大会

平成27年高戸谷花火大会

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