直歳としての修行

 先日作り始めた小屋が完成しました。

見栄えは・・・うーん、お世辞にも良いとはいえませんが、素人の技術と極低予算ではこれがせいいっぱいです。境内の裏の方にあるため、それほど人目につかないので見栄えはあまり重要ではありません。大工道具を置く小屋として使います。見た目は悪くても、自分で使う用途に合わせて作ったため、実用性は抜群、また私が屋根に乗っても平気なので豪雪でもつぶれません。入り口と側面の窓・サッシは使っていない古い物を再利用しました。取り付けに苦労しましたが、ちゃんと開け閉めできます。

まあ、予算さえあればきちんとした小屋を購入できるのですが、それまではこの小屋で我慢します。


直歳としての修行
ちなみに、いまでこそDIYとか日曜大工という言葉で表現していますが、もともと禅道場においては大工仕事も重要な修行の一つでした。

調理が大切な修行である、という教えは、当サイトでも繰り返し紹介しているように『典座教訓』などで強調されております。ここで誤解がないようにあえていえば、『典座教訓』がいわんとしていることは、数ある日常行為の中で調理や食事だけを特別に抜き出して重要な修行であると説くのではない、という点です。すなわち、日常生活の中で一番身近で、しかも欠かすことができない行為ということで、仮に調理や食事を題材にして『典座教訓』が示されたのであり、実際には、調理食事以外の全ての日常行為が等しく尊い修行であって、私たちは『典座教訓』に書かれた内容を他の日常行為にも置き換えて理解しなくてはならないのです。調理食事だけが特別重要なのではありません。

『典座教訓』の冒頭に「仏家に本より六知事あり。」と書かれていますが、禅寺には「典座」だけではなく重要な役職が六種あると説かれています。(実際にはもっとたくさんの役職がありますので、いずれ詳しく解説したいと思います。)

その六知事の中に、「直歳」(しっすい)という職があります。これは簡単に言うと、作務を司る役職で、具体的には、寺の伽藍造営・修理・火防・清掃・各伽藍および小屋の管理などの職務を担当する役位です。

道元禅師は、それぞれの知事の役職と心がけを説いた『知事清規(ちじしんぎ)』という書を示されました。

『典座教訓』では、「衆僧に供養す、故に典座あり」と示されていますが、直歳については『知事清規』やその典拠となっている『禅苑清規』にて「衆僧の為に作務す、故に直歳あり」と示されています。

『知事清規』中の直歳に関わる内容を抜粋して紹介します。(管理者意訳)

○「直歳の職は、寺院の作務に係わる作務の全てを司ります。その職務を具体的に述べると、寮舎、門や窓、壁などの修復、日常使用する器具類の補修や整備、米つき小屋、田園、作業小屋、ロウソクを作る小屋、便所、馬や鞍の管理、船や車の管理、境内の清掃、穀物や野菜の栽培に関することなどです。また、山門を警備し、盗人などから寺を守るのも職務のうちです。また手伝いの人工や荘園の管理も受け持ちます。

いずれにせよ、公の心を忘れることなくつとめ励み、その時々で最も良い対応をしなくてはなりません。(原文 宜しく公心にて勤力し、時を知り宜きを別つべし。)

もし大規模な新築・修復・作務を行うときは、住職に相談して指示を受け、また他の知事と協議して行いなさい。決して自分の独断で行ってはいけません。

○直歳が居する部署は、寺院の中でも東の回廊の外側に置くのがよいでしょう。大工仕事の音などが僧堂・法堂・住職の部屋・厨房などに響かないよう配慮するのです。

(↑まさに今回つくった大工小屋はこの教えを守り、カナヅチで釘を打つ音が本堂に聞こえないようにはじっこに建てました。実際に永平寺には伽藍南東のはじに作事場「さくじば)と呼ばれる大工さんの仕事場があります。当寺は正門が南東にあるため大工小屋は北西に作りましたが)

ということで、もはや私の大工仕事も、単なる趣味ではなく禅寺を維持していく上での重要な職務であり、また調理と同様に尊い修行でもあることがおわかりいただけたでしょう。

近くのホームセンターで大工道具コーナーを眺めていると、しばしばお檀家さんに発見され「和尚、そんなもの眺めて何するだ?」と失笑されながら声をかけられます。それもそのはず、ふつうの人が買わないような大型電動ノコギリや電動ドリルをカゴに入れて、和尚がレジに並んでいれば不思議に思われるのも当然です。しかしそれはあくまで直歳としての職務を全うするための行為なのです。
うっしっし

ある時は包丁を持った典座和尚、またあるときはノコギリとカナヅチを持った直歳和尚となる管理人、本日はおけさをかけてお釈迦様の成道をしのぶ法要を行いました。

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