精進料理とおかゆ

 昨年暮れに当ブログで予告したとおり、来たる1月6日に朝日新聞土曜版、料理の知恵袋コーナーにておかゆに関する記事が掲載される予定です。新聞紙上では誌面の制約があり多くを紹介しきれませんので、記事を補足する意味から当ブログでは数日間に渡り「精進料理 おかゆ特集」を開催いたします。朝日新聞紙上との連携企画、とまでいっては少々大げさですが、できる限り励みますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、お寺の食事といえばおかゆ、という認識は広く一般にも定着しており、精進料理とおかゆとは切っても切れない関係にあります。後日詳述しますが、古くから禅寺ではおかゆに関する逸話も多く残されており、そのシンプルで淡泊な味わいは精進料理の代表格といっても過言ではありません。下の画像でもわかるとおり、禅寺の朝食は「おかゆ、漬け物、ごま塩」そして日によっては「別菜」(べっさい)とよばれるおかずが一品添えられるだけのきわめてシンプルな献立です。

シンプルであるがゆえに、毎日食しても飽きがこないという利点があげられます。長い禅の歴史の中で、現代でもかわることなくおかゆが食べられているということがそれを証明しています。しかし調理人の立場から言うと、シンプルな料理ほど作るのが難しいものです。

永平寺をはじめとする禅寺の修行では、毎日の朝食はおかゆと決まっています。そのため、寺の調理係に配属された雲水がまずはじめに苦労するのがおかゆの作り方です。それもそのはず、永平寺では毎朝200人分以上のおかゆを、大型トラックのタイヤの直径ほどもある大釜で炊くのです。火加減や水加減などをうっかり失敗して万一焦がしてしまったら、200人分のおかゆが全て無駄になってしまうわけですから責任重大です。毎回冷や汗をかきながら大釜の火力調節つまみを必死で操作しておかゆを作り、なんとか作り上げたおかゆを無事に配り終わったあとにホッと胸をなで下ろした記憶がなつかしく想い出されます。

こうして寺の台所で苦労して作られたおかゆは、「僧堂」(そうどう)と呼ばれる建物に運ばれます。「僧堂」は「坐禅堂」とか「禅堂」とも呼ばれる、修行の中心となる重要な場所です。禅僧はこの僧堂で坐禅し、食事をとり、また睡眠を行います。季節によっては一日のうちの大半を過ごす尊い場所なのです。


精進料理とおかゆ

その神聖なる「僧堂」にて、僧たちは正式な装束であるおけさを身にまとい、坐禅をくんで厳格な作法に基づいておかゆを食べます。決して略式の作法でいい加減に食べるのではなく、僧として最高の礼儀をもっておかゆに対するのです。

すなわち、調理係が細心の注意を払い、まごころを込めて調えたおかゆを、食べる側もそれにふさわしい態度と作法で食べるのです。これこそ禅修行のかなめです。俗世間で「たかが食事」と軽視されがちな食事に、全身全霊をもってとりくむのです。

いうまでもなく、食事中は各種のお唱えごと以外には私語・雑談など厳禁で、おかゆや漬け物などを配膳する係の足音さえも聞こえない静寂の中で進められます。

入門したての新米雲水などは、難しい食事作法を間違いなく進めることに精一杯で、なかなかおかゆを味わうとまではいかないのですが、作法が身に付いた古参雲水ともなると、逆に静寂の中で味わうおかゆの淡味こそが最高においしく感じます。

楽しく会話をして食事をするのも良いものですが、その分食事の印象が薄くなってしまいます。時には修行道場をまねて、食事に100パーセント集中してみてはいかがでしょう。

「おかゆって、こんなにおいしかったのか」と気づくことができるかもしれません。

明日は簡単にできるおかゆの作り方を紹介します。お楽しみに。

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