食べ物を粗末にしてはいけません

先日、某牛丼チェーン店を舞台にしたある事件?が発生しました。
店員が営業時間中に、丼のご飯の上に具をありえないほど山盛りにしてふざける様子を撮影し、インターネットの動画サイトに投稿、公開したという内容です。

大きな量を表すとき、キロ→メガ→ギガ→テラという単位があります。最近ではパソコンに関係する製品、たとえば記憶装置であるハードディスクドライブやメモリーカードなどで、記憶容量はメガバイト・ギガバイトというふうに用いるため、かつては聞き慣れなかったメガ・ギガ・テラという単位もだいぶ浸透しています。
そこから転じて、主に若者言葉で、大きいとかたくさんとか、すごくという表現に使われる場合もあります。「ギガ寒い」とか、「テラ笑う」というような感じで。
「メガ○ック」というネーミングのハンバーガーがありますが、食品業界でもファーストフード店などで使われています。
そこで今回、ライバルチェーン店の大盛り「メガ牛丼」に対抗して、ふざけて「テラ豚丼」を作ってみたというのが、事件のいきさつです。

話はちょっとそれますが、私はテラとかギガとかいう比較的新しく広まった単位をむやみに使うことにどうも違和感を感じてしまいます。小学校低学年のころ、覚えたての単位を使ってみたくて「じゃあ100万円ね」「じゃあ俺は1億円!」「俺なんか100兆円!」と意味もわからず張り合っていた頃に通じる幼さを感じてしまいます。
若者言葉の「テラ寒い」よりも、「いと寒し」の方が風情があっていいなあ、と感じるのは、私がおっさんだからでしょうか。

話を戻しますと、その山盛りにしてふざける映像を見た閲覧者から、「食べ物を粗末にするな」という苦情が多く寄せられ、チェーン店本部では対応に苦慮しているようです。

それに対して、3つの視点から私見を述べたいと思います。
まず第一に、多くの閲覧者に指摘されているとおり、「食べ物を粗末にしてはいけない」という点です。
子供の頃、食べ物を遊び道具代わりにして親に叱られた経験がある方も多いと思いますが、古来わが国では「食べ物をを大切にする」という美徳が親から子へ受け継がれてきました。

そうした概念の根底には「食材を敬い、感謝する」という精進料理の教えが少なからず影響を与えております。
精進料理では、大根の葉、人参やカブの皮でも、無駄に捨てることなく、再利用して食材のいのちを生かします。
どれだけ多くの方の努力や苦労を経て、いまこうして目の前の食材があるのか。そこに考えをめぐらせたならば、食べものでふざける、などということは到底できないはずなのです。

今回、このような愚行を犯してしまった者もいれば、逆にそれを見て憤った多くの閲覧者がいたことにも注目しなくてはいけません。まだまだ日本には「食べ物を粗末にしてはいけない」という美徳を持ち合わせた識者が多いことに安心する反面、「食べ物で遊ぶ」ことに罪悪感を感じない若者に対して「食育」を徹底する必要性も感じます。

第二に、今回残念なのは、山盛りにしてふざけた店員には、「料理人のプライド」が感じられないという点です。
自分が一生懸命作った料理であれば、粗末にしたりふざけたりなどできないはずなのです。
料理に限らず、なんでも同じだと思います。寝る時間を削って一生懸命書いたホームページやブログの文章であれば、「今日は何人が見てくれたかな」とか「おっコメントが来たぞ」という具合に、その後の反応が気になるはずです。あるいは、会社で苦労して企画した新製品がどんな風に売られているか、販売店を回ることもあるでしょう。
または、子供のころ公園の砂場で泥だらけになって山とトンネルを作った時、そろそろ暗くなってきたけれど、せっかく苦労して作ったこの砂の山を壊したくないからまだ家に帰りたくない・・・そんな経験は誰にでもあると思います。

心をこめて作ったなら、その料理に対して自然と愛情が湧き、大切にしようとする気持ちになるはずなのです。私であれば、何時間も苦労して作った料理でふざけることなどできません。料理がかわいそうですよね。もし、私が作った料理を、誰かが山盛りにしてふざけてたら・・・間違いなくケンカになるでしょう。
一つめに述べた点にも通じますが、苦労して田畑を耕し、愛情を込めて育てた農作物や食品を粗末にしてふざけられたのでは、生産者は哀しくなってしまいます。牛丼になってくれた牛や育ててくれた酪農家にも申し訳がありません。

つまり、今回の山盛り動画を撮影した者は、自分が作った料理になんのプライドも愛情も持っていないからこそ、こんなひどいことができたのだと思うのです。少しでも調理人としてのプライドがあり、自分の作った料理を大切にしていれば、とてもできるはずがありません。
一流のプロであっても、アルバイトやパートであっても、他人に食事をお出しするという点では同じです。良い料理を食べて、心が温かくなり、幸せな気持ちになって、健康増進にもなることもあれば、逆にひどい料理を出されて悲しくなったり、怒ったり、はては不衛生な料理で健康を害してしまうこともあるのです。食に関わる者すべてが、そうした責任を感じなくてはいけません。
せっかく料理を作るならば、食べる人が喜び、使われた材料さえもが喜び、さらにはそれによって作った者自身もが喜びを感じるのでなくてはいけないのです。そうした精進料理の「喜びの心」をなるべく多くの料理人に知って頂きたいと思います。

第三の視点は、インターネットに関する私見ですが、長くなってきたのでまた明日に続きます。

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