料理写真とわたし~その4

永平寺での修行を終えた私は、縁あって平成13年から永平寺東京別院の典座(料理長)の任に就くことになりました。再び毎日料理と向き合う日々がはじまり、今までと同様に料理写真を撮り続けていました。


中古店などでコツコツ集めた必要機材の一部。やはり機材が無くては思ったような写真は撮れません。用途によって使い分けています。

時あたかも世は健康ブームが盛り上がりをみせはじめ、東京別院はマスコミ各社から近いという地理的事情もあり、私はテレビや雑誌などの精進料理に関する取材を数多く受けることになりました。 ほとんどの場合、プロのカメラマンが編集者とともに寺にやってきて料理を撮影します。

同時に、そのころから
「精進料理に関する原稿を書いてもらえませんか?それで、てごろな料理写真があればそれも添えてください」というような形の依頼も増えてきました。
要するに予算の関係等もあって、ライターさんやカメラマンさんがこない、原稿も写真も全部私が自分で用意して編集部に送って納品するという依頼形式です。
文章は、まあがんばればなんとかなる?のですが、写真はそういうわけにはいきません。
さすがに当時の私でも、プロが撮った写真と自分が今撮っている写真の仕上がりの違いは認識していました。しかしあまりに違いすぎて、プロが撮るのは別次元、素人では無理、と勝手にあきらめていたのです。当時連載をしていた仏教誌などの写真を見ると、本当にただ素人が撮っただけの写真が恥ずかしげもなく掲載されています。

しかしある日私は、じゃあプロはどうやって撮っているのだろう、と疑問に思い、プロカメラマンが寺に来て撮影を行う取材の場合には、料理を撮影している現場を邪魔にならない範囲で見学?するようにしました。

いやー、正直言ってカルチャーショックを受けましたね。
興味がないということは恐ろしいもので、それまでは写真を撮るには構図を決めてシャッターを押せばいい、くらいに考えていたわけですが、プロカメラマンたちの大がりなセッティングや道具類、そして緻密な撮影手順などを見てびっくりしました。
なるほどー、こうして撮るのかー、と非常に勉強になりました。

取材があるたびに、カメラマンがどんな機材で、どんなセッティングで、どんな手順で撮影しているのかをできる限りチェックしてノートに記録するようになりました。
おもしろいもので、いったん興味が出てくると撮影方法のチェックだけでなく、機材セッティングと誌面に掲載された料理写真の仕上がりとの関係を考えたり、カメラマンさんにそれとなく「どうしてこんなところにライトを用意するんですか?」「これは何の機械ですか?」などと尋ねたりして、少しづつノウハウを得ていきました。同時に、自分の写真のどこが今まで悪かったのかを考えるようになりました。

そして決定的だったのが、私の1冊目の著書となる『永平寺の精進料理』の撮影でお世話になった今清水隆宏先生です。今清水先生は料理写真を専門としているフォトグラファーで、数多くの料理書籍で写真を担当なさっております。

先生はただ単に料理を撮るだけでなく、その料理の奥深くにあるものまでカメラに納めようとする方でした。たとえば、「この精進料理はどういう教えに基づいて作られるのか」「この料理の一番の魅力は何なのか」といった精神性まで追求して、対象物を理解した上でシャッターを押すのです。
そのために、料理の試食はもちろんのこと、調理場でいろいろと精進料理に関する質問を受けながら撮影が進みました。
その代わりにというわけではありませんが、私は撮影のことをたくさん質問しました。やがて私があまりに熱心に(しつこく?)聞くものだから、じゃあ特別に個人レッスンをしてあげましょう、ということになりました。
毎日多忙な一流のフォトグラファーから直接料理撮影の基本を指導していただける機会など、滅多にあるものではありません。それは親切に指導をして下さいました。

もちろん、予算が充分にある企画の場合には、先生に撮影していただければ一番良いのですが、なかなかそうはいきません。仏教誌やささやかな雑誌などの小さな記事では、企画自体に予算があまりないので、どうしてもプロのカメラマンに依頼することはできません。そのため、原稿も写真もレシピも私に一括で依頼する、という形が多くなるわけですが、今清水先生はその辺の事情を十分承知した上で、
「せっかく高梨さんの精進料理原稿が掲載されるなら、おいしそうに、そして多くの人が興味を持つような良い料理写真を撮って載せるべきですよ。その方がより多くの読者に精進料理の素晴らしさを伝えることができるでしょう」とおっしゃいました。本当にありがたいご縁でした。

レッスン内容は時間も限られていたためごく基本的な範囲でしたが、基本を押さえるだけで、できばえはまさしく格段の差でした。そりゃあプロと比べればまだまだですが、レッスン前と後では自分でも驚くほどでした。

どんなに文章が良くても、写真がおいしそうに見えなくては読者は興味を持ってくれません。もしかしたら読みとばしてしまうかもしれません。しかし臨場感あふれる、その料理の魅力を抑えた写真が掲載されていれば、作ってみようという気もおきやすいし、また調理する際にもどういう仕上がり見本なのかがよくわかると思うのです。

一昔前の精進料理本をみると、おせじにもおいしそうに見えない写真が掲載されている本が少なくありません。当時の技術や予算ではそれが限界だったのだと思いますが、デジタル化がすすみ、カメラの性能が上がった今、昔に比べるとどんな雑誌にも、ネットにも、美しい写真がたくさんあふれています。
だからこそそれをみる読者の目も肥えてきています。これからは、いかに上質な写真をスピーディに提供できるかが重要になってくると私は考えています。

この写真を見れば一目瞭然です。上はレッスン前に撮った写真。下は最近の写真。
細かい材料は違いますが、ともに「ひじきご飯」です。どちらが魅力的な写真かは言うまでもありませんね。記録写真ならともかく、上の写真が記事に載っていても、とても作ってみようという気はおきないでしょう。

さて、長々と4回にわたって書いてきた「料理写真とわたし」につきあってくださりありがとうございました。要点をまとめると、私にとって料理写真とは
第一に「作った料理の記録資料」
第二に「自分の料理の至らぬ点を客観的に分析する判断材料」
第三に「精進料理の素晴らしさを他人に伝えるための一手段」
というようにステップアップしていきました。

レシピを考案し、料理を作り、原稿を書くだけでなく、写真も自分で撮ることができれば、より機動的に、誌面やネットなどで精進料理の素晴らしさを発信していくことができます。
今清水先生のせっかくの御厚意を無駄にせず、精進料理の素晴らしさをより広く伝えるためには、料理写真の撮影技術も同時に学んでいく必要がある、今もそう痛感しています。

余談ですが、特に2008年秋に刊行された三冊目の著書、『典座和尚の精進料理』では料理写真もまるごと一冊私が自分で撮影いたしました。ただ撮るだけでなく、その後どのように写真が加工され、印刷データとなって製本されるのかという流れを経験することができ、非常に勉強になりました。
撮影段階で対処しなくてはいけないことや、加工の段階で注意するべき点など、やってみないとわからないこと・反省点も多々ありました。
おかげさまで大好評・増刷のご評価をいただいております。

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コメント

  1. 料理書籍 より:

    遅くなって済みません。料理書籍に載せる、料理の写真を美味しそうに撮るのは難しいですね。