お盆の片付け疑問に答えます

今日7月16日は、東京のお盆最終日です。送り火を焚いて、この世に戻ってきた亡き方々の魂をあの世に見送り、お墓参りをします。

お墓参りから帰ると、お盆が終わったもの悲しさを感じながら、片付けをすることと思います。その時よくお檀家さんに、「お盆に用意したものはどう処理すれば良いでしょうか?」と質問されます。

まあ要するに聞きたいポイントは、「お盆の道具って来年も使い回して良いの?」ということですね。来年も使って良いかどうかで、片付けの方法も変わるわけですから当然の疑問です。これについてお答えしたいと思います。

まず、お供えしたお膳、果物、お菓子などはいたんでなければお下げしてありがたく頂きます。(要するに、自分たちで食べる)

ナスとキュウリで作った牛と馬は、脚をはずして料理に使います。念のため生ではなく、炒めものなど加熱する料理に用いましょう。小口に切って、味噌汁の具にするのがお薦めです。

お供えに用いた供物台、ろうそく立てや香炉などはそのまま仏壇の元の位置に戻します。

そこまではまあ常識的な部分なので特に問題は無いでしょう。ここからが皆さんの疑問に対する回答です。

お盆飾り みずのこ 水の子

お供えした水の子(みずのこ)ですが、これは下げていただくというわけにはいきません。またお盆中にお供えしていたため、おそらく傷んでいてなかなか料理に使うことも難しいと思います。多くの地方では、水の子はお盆が終わった後、「川に流す」という風習があります。一説によると「ご先祖様は川の流れにのってあの世に帰るから持たせてあげる」「お供えしたお米を無駄に廃棄せず、川に流すことで魚や鳥などに施す」という理由からです。うちのような田舎なら流れが急な大きな川に少しくらい川にお米を流しても、宗教的伝統に基づいた行為として問題ないと思いますが、人口が多い都市部でそれをするのはちょっと問題があるでしょう。ヘタすると不法投棄罪の恐れが生じるのではないでしょうか。

そのあたりはお住まいになっている環境をよく考えて、臨機応変に、ということになるでしょう。川に流しても問題なさそうな状況ならばそうすれば良いでしょう。ちょっとやめておいた方がいいだろうなと判断すれば、たとえばベランダや庭先などにみずのこを置いておけば、鳥やアリなどに施しができると思います。

要するに食べ物を無駄に廃棄しないという命を大切にしようとする仏教の主旨から外れなければ良いわけです。ただ、腐った状態で公園などに放置すればそれは周囲の迷惑になるわけで、やはり個人の状況判断が欠かせないと思います。やむを得ない場合は廃棄を選択せざるを得ない状況もあり得るでしょうね。

都会暮らしでは、昔ながらの素朴な風習通りにいかない面が生じるのはやむを得ないと思います。

仏壇前での略お盆飾り作法

次に、真菰のゴザや縄、出来合い素材の牛や馬など、つまり先日紹介した「お盆飾りセット」を保管して来年以降も使って良いのかどうかという疑問です。

昔は、お盆で用意した、そうした飾りはその時限りで処分し、使い回さないという風習がありました。送り火とともに燃やしたり、お墓に持っていって置いてくるという作法を今も守っている地域もあります。

もともと、お葬式で用いた飾り付けなどは再利用せずその場限り、とされています。これは、お葬式の場合、その飾り付けは亡くなった方のために用意するべきものなので、保管して他人に使い回すのでは失礼にあたることと、またかつては神道の影響を受けて葬儀=ケガレという民間思想が根強く、使った飾りは縁起が悪いということで避けられたのです。この意識がお盆にも転じ、お盆飾りは使い回さないとされたのではないかと私は考えています。

しかしですね、そうはいっても昔からそれらは徹底されていたわけではないのです。たとえばお葬式でも祭壇周りの飾りなどは使い切りですが、祭壇自体は昔から使い回しですし、葬儀で来た衣服も昔は使い捨てていた時代もありましたが、それでは大変なので喪服の上に、木綿で縫った羽織を着用してその羽織だけを捨てることでケガレを取り除くという風習に替わり、さらに今ではもはや羽織さえも無くなって普通にそのまま喪服を使い回します。お寺の本堂で使う、お盆の飾りや仏具なども9割方、来年も再利用します。

ほとけさまにお供えしたからという理由で、料理用のお膳を毎回使い捨て、果物の台を使い捨て、ろうそくの台を買い換えるのでしょうか?親族からお供えしてもらったお盆の提灯も捨ててしまうべきなのでしょうか?

いや、お膳や供物台やろうそくの台、親族がお供えしてくれた提灯は来年も使って良いが、真菰のゴザとひもは取り替えるのだ、というならその線引きはどこにあって、どう区別されるのでしょうか?ご先祖様が乗ってくる乗り物(牛馬)を使い回しては失礼だ、といっても、私など同じ車を十何年も乗り続けますし、むしろ永年使った方が伝統を感じて良い場合もあるでしょう。

要するに、「わざわざ買うのはお金がかかるから使い回しでいいや」と亡き人を軽んじる気持ちで使い回すのはよくないぞ、と誡めているのであって、故人を大切にする気持ちさえしっかり基本にあるならば、これだけ金銭的に厳しい時代なのですからある程度節約することはご先祖様も理解してくれるはずです。

もちろん、自分の信条としてそうした仏具を再利用すべきでないと考える方がいれば止めません。しかし、このエコの時代に、たいした理由も無く、イメージだけで使い捨ててしまうのは私は賛同いたしません。せっかく買った「お盆飾りセット」も、きっちりきれいに保管して、来年も使えば良いと思います。毎年新しく買えばキレイで良いでしょうが、まだまだ使えるものを安易に捨てるのは環境問題・エコの観点から私は反対です。ご先祖さまだって、そんなところで無駄遣いしなくていいよ~、と子孫に対して思うのではないでしょうか。

もちろん、なんでもかんでももったいないからと使い回せというわけではありません。たとえば毎年お寺でお経をあげ、魂をこめる儀式を行った塔婆などは、裏面に立てた年月日が書かれていますし、使い回すこと無く、きちんと新しいものを用意すべきです。またお供えのお米をとっておいて来年もお供えしろとはいいません。それらはきちんと意味があることであり、特に意味がないものとは区別しなくてはいけないと思います。たとえば、お盆セットの中にある「割り箸」これくらいなら、新しいものに取り替えるか・・と思う気持ちがあるなら再利用せず交換すれば良いと思いますし、その辺の取捨選択はあくまでも自分が亡き人の魂をどうもてなしたいかという気持ちの問題なのです。

なお保管する際、真菰のゴザや縄はカビやすいので、添付されていた除湿剤を忘れずに戻し、袋の口をキッチリと閉めて、湿気ない場所に保管しておきましょう。

今回の記事は私が住職として、個人的な見解を述べたものです。住職によっては意見が、また地域の風習としては異なる場合もあるでしょう。時代に応じ、皆さんが最も良い判断をなさってください。

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