精進料理のダシについて 11

 前回ダシに使った昆布や干し椎茸のだしがらを無駄に捨てずに煮付けにする例をご紹介しました。大切なのは「尊い食材を使わせていただく以上、そのいのちに感謝し、無駄を出さない調理の工夫をする」という態度です。

 

初学者はまず「なんでもかんでも捨ててしまうクセを直し、今まで使っていなかった部分を生かすようにする。”もったいない”、という気持ちと”ありがとうございます”という感謝の心を持つ」というテーマを実践すればよいわけですが、さらに上級者にはこんな教えもあります。 道元禅師が存命中、常に付き随って仕え、後に永平寺の二代住職となった懐奘禅師(えじょうぜんじ)が、道元禅師の言行を記録してまとめたといわれる『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞうずいもんき)という書の中に、道元禅師と懐奘禅師の間で交わされた以下のような問答が記されています。

示に云わく、衲子の行履、旧損の衲衣等を、綴り補ふて捨てざれば、物を貪惜するに似たり。古きを損て、当るに随って、すぐせば、新しきを貪惜する心有り。二ながら咎あり。いかん。問云、畢竟じて如何が用心す可き。答へて云く、貪惜貪求の二つだにもはなるれば、両頭、倶に失無からん。但、やぶれたるをつづりて、久しからしめて、あたらしきを貪ら不らんは可なり。

(読み) じにいわく、のっすのあんり、くそんののうえとうを、つづりおぎなふてすてざれば、ものをとんじゃくするににたり。ふるきをすて、あたるにしたがって、すぐせば、あたらしきをとんじゃくするこころあり。ふたつながらとがあり。いかん。とうていわく、ひっきょうじて、いかんがようじんすべき。こたへていわく、とんじゃくとんぐのふたつだにもはなるれば、りょうとう、ともにしつなからん。ただし、やぶれたるをつづりて、ひさしからしめて、あたらしきをむさぼらざらんはかなり。

(意訳)

道元禅師がこのように言われました。

「われわれ禅僧が日々の修行において、古くなって傷んだ法衣などをつぎはぎをしたりして補修し、捨てないで着続けることは、物を惜しむ心がいきすぎて逆にその法衣に過度にこだわり、執着する煩悩となるのではないか。かといって、古くなったらすぐに捨てて取り替えるというのは、新しい物を欲しがる煩悩となる恐れがある。そのどちらもよくないことだが、さて懐奘よ、おまえはどうしたら良いと思うか?」

私は考えた末、「結局どのように注意すべきなのでしょうか」と道元禅師にたずねました。

道元禅師は、

「古い物を惜しみこだわりすぎる心も、新しい物を欲しがる欲望も、両極端を離れればよい。具体的な行動としては、過度に惜しみこだわる心を捨てた上で破れた衣を補修してできるだけ長く使い、あたらしいものを欲しがる心をも持たないのが良いだろう」と答えたのです。
ちょっと難しいかもしれませんが、要するに「もったいない」という気持ちは大切であるけれど、だからといってそれを惜しむ心が強くなりすぎると、その物自体に執着することになってしまい新たな煩悩が生まれてしまうというわけです。言うまでもなく新しい物にこだわりすぎるのはそれ自体が欲望になりますからもちろんダメです。

ここでは法衣について述べていますが、食材を扱う場合でも同様だと思います。

要するに、食材を惜しむ気持ちは大切だけれども、その方向を間違えてしまうと逆に煩悩になってしまう恐れがあるから注意せよということです。

この逸話を拝読するたびに想い出すのが、私の料理の師が日頃言っていた「”ケチ”と”もったいない”は違うんじゃ。慈悲の心をわすれてはいかん」という言葉です。

要するに師が言いたかったのは、「食材を惜しみ、無駄を出さない」という行為がどんな精神に基づいて行われるかが重要だ、ということなのだと思います。

食材を節約することによって、経費が浮くとか、その分おかずの量が増えるとかいう「お得」を求めて節約をしたのでは単なる”ケチ”になってしまい、道元禅師が禁じられた「むさぼり」の心に落ちてしまいます。

そうではなくて、あくまでも食材に対する感謝と敬意に基づいて行われる行為こそが尊いのです。その行為の基本に、食材への慈悲の心がなくては精進料理にはなりません。

ちまたでは長引く不況を受けてか「節約術」が流行していますが、精進料理の心に基づいて行われる「節約」や「無駄を出さない工夫」は、俗世間の節約とは一線を画します。

執着やむさぼりの心から離れ、「空」(くう)の立場で食材に向き合うことをめざすのです。

 

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