食の安全 -相次ぐ食品偽装問題に対しひとこと-

ここのところ、さまざまな「食品偽装問題」の発覚が相次いでいます。
乳製品、菓子、うなぎ、地鶏、北海道や伊勢の定番土産など・・。それらの問題点は、主に「衛生面の不備」「賞味期限の改ざん」「産地の偽装」などに集約されます。

私たちは、毎日特に意識することなく多くの食品を口にしていますが、よくよく考えてみると、これらの食品は私たちの健康に大きく関連しています。健康に良い食べ物もたくさんある反面、健康を害してしまうおそれのある食べ物もあるわけです。特に、衛生面に問題のある食品を口にした場合、もし食中毒の原因となる菌が混入していれば、最悪の場合命にかかわる事態にもつながりかねません。また、すぐに影響が出なくても、長い間に体内に蓄積され、やがて健康を害するような有害物質も危険です。

そういう意味では、これらの食品偽装問題は、私たちが安心して食物を口にする、といういわば「食の安全」「安心な食」をおびやかす、見逃せない事態なのです。
食にたずさわる一調理人として、この問題に一言申し上げたいと思います。

私ども精進料理の調理人は、たとえばどこかのお寺で大きな法要があった場合、依頼を受けてその法要の食事を任されることがよくあります。法要の規模にもよりますが、たとえば集まる和尚さんたちが五十人、参詣のお檀家さんが百五十人、あわせて一食分二百人分を二日間で五食分作ってくださいね、なんていうのはよくあることです。そういう場合、普段その寺で食事を用意している台所では設備が不十分なので、仮設の機材や場所を用意したり、自分たちで大鍋やうつわを持ち込んで調理をします。

そういう時、法要に集まったお檀家さんが楽しみにするのは、やはり普段はなかなか口にすることができない、お寺の精進料理です。食事時間には、「いやー、おいしかった」とか「思ったより味がしっかりしているねえー」なんていう声が上がったりします。
調理する側としては、もちろんそうしたお檀家さんが喜ぶ顔を思い浮かべて、おいしく仕上がるように頑張るわけですが、まず何よりも気を使うのは、味がどうのこうのではなく、「安全な食事」という点なのです。「安全な食事」が何よりも最優先されます。

調理中には、雑菌や異物が混入しないよう、しつこいほどに配慮します。もし万が一、中毒や下痢等が発生してしまったら、その法要は大失敗に終わってしまうのです。責任は重大です。法要を成功させる鍵は、実はあたりまえのように食べている食事にあるのです。いくらおいしい精進料でも、安全でなかったら意味がありません。そのため、私たちはまずは何を置いても衛生と安全を最優先にするわけです。

精進料理の心を説いた道元禅師の著書、『典座教訓』には、「調理の準備ができたら、鍋にふたをしなさい。ふたをあけっぱなしにしていると、ネズミが入ったりして衛生的に良くないし、またそのにおいをかぎつけた、調理係以外のひま人が台所にうろうろして鍋の中をまさぐったりし、これまた衛生面に問題があるので、調理が済んだら鍋にはふたをすることが大事なのです」(意訳)と記されています。750年以上も前に、道元禅師ほどの歴史的な高僧が、調理係のこれほどまで細かい点にまできちんと配慮されて著書に遺されている点に、感動すら覚えます。

食品偽装が発覚すると、「現場の実態に、経営者として気がつきませんでした」と、いかにも「俺ら会社のトップは、そんな細かい現場のことまで知らんよ、俺たちゃあ忙しいんだよ!現場に任せてるんだから!」っていう感じのいいわけをすることが多いわけですが、そういう経営陣には道元禅師の細やかな気配りを見習ってもらいたいです。
道元禅師は、自ら修行僧とともに坐禅に励み、また門下を指導し、その上百冊にも及ぶ哲学的にも価値のある多くの著書を遺されました。とうぜん寝る間もないほど忙しかった道元禅師ですが、ちゃんと台所の鍋のフタのことまで気をめぐらせているのです。
本当に、道元禅師はすばらしいと思うわけです。

また、そうした大法要で私たちが精進料理を作る際、二百人分の精進料理ともなると、たとえば煮物を煮る時、朝食の煮物は前日から煮含ませておかなければ時間的に間に合いません。そうしたとき、一晩鍋の中に入れっぱなしにしてしまうと、季節や気温によっては朝までにいたんでしまうことがあります。それをふせぐためには、朝鍋から出す前にもう一度加熱し、殺菌処理ができるような献立を考えるのです。
たとえば、こんにゃくの煮物であれば、前の日に煮て味を染み込ませ、翌朝十分に再加熱して殺菌することができます。こんにゃくなら再加熱しても煮崩れたりしないわけです。逆に、かぼちゃの煮物を朝の献立に設定したとしたら、二百人分のかぼちゃを再加熱したらドロドロに煮崩れてしまうことになります。煮崩れを心配して再加熱しなければ、雑菌の繁殖が怖いわけです。
つまり、すでに献立を立てる時点から、安全な食に対する備えが始まっているのです。しかしながら、朝の煮物をこんにゃくにするかかぼちゃにするか、なんていうことは誰も教えてくれないわけで、また時期によってはかぼちゃでも問題ないですし、その辺が大法要の食事係を何度も経験した、いわばプロフェッショナルの知恵ってことになるわけです。

ご家庭で家族のために調理する場合も、もちろん安全を第一に考えなくてはいないわけですが、それ以上に、不特定多数の他人に食事を提供するプロの場合、さらにハイレベルな次元で、「食の安全」を追及しなくてはならないと思います。そうした意味で、ここのところ続いている食品偽装問題の解決のためには、食にたずさわるすべての者が、一度は道元禅師の『典座教訓』を拝読し、精進料理の心を学ぶべきだと強く感じます。

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コメント

  1. 食品アレルギー表¥示(25種類)とは より:

    わたしは食品材料を提供する会社に勤務しておりますが、お得意先様の中には本当にがっかりするような意識の低い先様もおられます。
    典座和尚様は、さすが意識が高くていらっしゃいますね。

    最近のお料理屋さんでは食中毒を警戒して、持ち帰りを禁止しているところが多くなりましたが、私の住む地域は田舎なので、いまだに持ち帰り用のパックが出てきます。
    食を無駄にしないという観点からは良い事なのでしょうが、食の安全という寒天からするとちょっと首を傾げてしまいます。
    調理も大丈夫かな?と、不安になってしまいますが、田舎の方ではあまり気にしていないようですね。

    長文、駄文、失礼いたしました。