B先輩の遺影にさらなる精進を誓う

永平寺での修行中にとてもお世話になったB大先輩が、お若くして亡くなったという連絡が入り、なんとか都合をつけて葬儀にかけつけ、お焼香してまいりました。

先輩といっても、同じ時期に修行したわけではなく、Bさんは私より十数年前に永平寺で修行をなさった方で、まあわかりやすくいえば永平寺のOB先輩です。

B先輩のお寺の境内

永平寺では、春と秋の一年に2回、「二期法要」と呼ばれる1週間にわたる大きな法要を毎年行っています。その大法要の折には、全国の曹洞宗寺院や永平寺OBの有志がかけつけて法要の手助けをしてくれる慣例になっているのですが、Bさんは毎年必ず調理係に手助けに来てくださっていた方でした。

二期法要には、全国から来賓の高僧などが多く集まるため、台所は大忙しです。
特に、その期間中だけ手助けしてくれるOB料理人たちは、自分のお寺が忙しい中、なんとか都合をつけて永平寺に来るだけあって。皆さん非常に料理の技術が高く、ひごろ指導を受けている典座老師(料理長)とはまたひと味違った料理スタイルの方もいて、毎回知らない献立や調理法などをいろいろと教えていただくのがとても楽しみでした。期間中は通常とかなり違う形式の献立も作るため、非常に良い勉強になる機会です。

そして特にBさんは基本に忠実な、いわゆるオーソドックスな料理スタイルを得意としており、その調理姿は修行中の私にとって非常に興味深く感じられました。
Bさんが料理をしている側にそれとなく近寄って、「どうしてそういう風にするのですか」「今どのくらい塩をいれましたか」など、いろいろうるさく質問ぜめにする私に対して、迷惑がることなく親切に教えてくださったのです。

昔から和食の世界では「料理は人に教わるものじゃない、目で盗んで覚えろ」とよくいいます。直接先輩に質問をしても、なかなか詳しく教えてくれない雰囲気があるのです。
もちろんそうした慣例はよく知っていましたが、1週間の法要期間中しか会えないOBに、なるべく多くのことを学びたいと思い、調理場で質問するのはもちろんのこと、休憩時間のたびにOBの控え室のお茶を変えるふりをしたりして紛れ込み、いろいろと教えてもらうチャンスをうかがったものです。

もちろん、中にはほとんど無駄な話をしない怖い雰囲気の方や、質問しても肝心な部分はあいまいにはぐらかす方もおられました。それはそれで修行中の私に対するある意味親切な対応なのだと思いますので、反応をみて、迷惑かな?と思った場合には、あまり深く聞かないようにはしていたつもりです。
しかし、実際にはかなり迷惑だったこともあったようで、ある時虫の居所が悪かったのか、別の方に、「お前なー、いろいろゴチャゴチャと聞いてくるけどな、お前みたいなのは初めてだ。ほどほどにしとけよ」と叱られたこともありました。
確かに、二期法要中の台所はそれこそ戦場のような忙しさで、いちいち料理の質問などしている暇はありませんし、実際他の修行僧は黙々と調理しているので、調理法をあれこれ聞いてくる私のような者はそれまでいなかったのかもしれません。

しかし、Bさんだけはいやな顔もせず、「まあそんなこというなよ、後輩に教えてやるのも俺たちの役目だろ」とフォローしてくれて、何から何まで、本当に役にたつことをたくさん教えてくださった恩人です。今でもそのころ教えてもらった調理法は大切にノートに残してあり、わたしの貴重な財産になっています。

実はBさんはすでにそのころガンにおかされており、病魔と闘いながら、無理をして手伝いに来ていたのです。自分の命に限りがあることを誰よりも知っていたからこそ、自分が身につけた料理の技術を惜しげもなく伝えてくれたのではないかと思っています。

こんな思い出もあります。当時は料理係に配属されると、各自に1本、菜切り包丁と呼ばれる鉄製の包丁が支給されていました。これは伝統的な和食修行には欠かせない包丁で、しかも安価なため、初心者がはじめに野菜の切り方を覚えるには最適な包丁です。最近の家庭用包丁は手入れがしやすいようにステンレス製の包丁が主流ですが、鉄の包丁は毎日きちんと手入れしないと錆びてしまいます。その代わり、研ぎ方を覚えてしっかり手入れすれば最高の切れ味を維持することができます。

菜切り包丁

しかしわたしも修行3年目になり、包丁の使い方にもだいぶ慣れ、刃幅が短い菜切包丁だけでは不便を感じる場面が増えてきました。
典座老師(料理長)からは、「そろそろ菜切り包丁以外の包丁を買ってみたら」といわれていたのですが、当然今度は自腹での購入です。お金のない修行僧なので、どうせ買うなら後悔しないような包丁を・・・と思っていたところ、目にとまったのが大法要中に手伝いに来てくださるOB料理人たちが使っている包丁でした。

OB料理人が使っている立派な包丁を、「すんません、ちょっとだけ触らせてもらえませんか」と頼んでみたのですが、やはり包丁は料理人のいのち、簡単には貸してくれません。
するとあるOB先輩に、「おまえこの包丁が欲しいのか?まだお前には100年早いぞ、もっと料理の腕が上がってからにしろ。それにな、こういうプロが使う包丁は、ふつうの店で売っているのとは違って、誰かの紹介がないと簡単には売ってくれないんだ。」と言われてしまいました。(後で知ったのですが、これはまったくのでたらめな話で、正直なところ、紹介などなくても売ってくれます。おそらく、修行中の身である私が、プロ用の包丁に心を惑わせてはいけない、と考えた先輩の配慮だったのでしょう。(単なるからかいだったのかもしれませんけど。)

それですっかりあきらめていたところ、「さっき控え室で聞いたけど、お前新しい包丁欲しいんだって?」とBさんが声をかけてくださいました。
「はい、そう思っていたんですが、まだ私には早いといわれ、それに紹介がないと買えないらしいので・・・」と答えたところ、「毎年台所の手伝いに来ているが、プロ用の包丁が欲しいなんていいだすやつは珍しい。まあ確かにお前にはまだちょっと早いかもしれないが、やはり良い包丁は切れ味も良いし、それに長持ちする。もちろん、値段はその分高いけど、お前がこれからも精進料理をずっと続けていく覚悟があるなら、無駄にはならないだろう。よし、じゃあ俺が店に紹介してやるから、どういうのが欲しいのか言ってみろ」とおっしゃってくださったのです。

正直うれしかったですね・・・。
「どういうのが良いか、ぜんぜんわからないので、Bさんと同じ包丁をお願いします」
「何!俺とおなじ包丁か!ずうずうしいなあー」と笑いながら、すぐに手配してくださったのを覚えています。

およそ2ヶ月後、職人手作りの立派な包丁一式が永平寺に届きました。紫の布に包まれた立派な包丁の封を開いたときの感激は今でも忘れられません。
それから毎日その包丁を大切に使わせていただきました。研ぎすぎてすっかり細身になってしまったので、これ以上細くなると使いにくくなってしまうため、今ではもう殿堂入りとして普段は使わず、記念にしまってあります。

殿堂入りした包丁

Bさんの葬儀は、それはもうたくさんの方がお焼香に集まり、生前の人柄と人望が偲ばれる式でした。歴代の永平寺の典座(調理長)をはじめ、永平寺の調理場仲間や修行仲間も参列し、ねんごろに法要がつとめられました。しかしまだ50歳という早すぎる別れに、涙なくしてはおられませんでした。
あらためましてご遺族の皆様にお悔やみ申し上げ、亡き老大和尚の品位増崇をお祈り申し上げます。

Bさんの葬儀から帰り、調理場の仏様の前に思い出の包丁をお供えし、お経を上げました。後輩からの質問を面倒くさがらず、丁寧に受け答えして料理を教えてくださったBさんの笑顔が思い出され、泣きながらの読経になってしまいました。

私が修行を終えたあとも、ご自身のお寺に招いてくださったり、私が出版するたびにたくさん買ってくださったりと、いろいろと親切にしてくださったBさん。
告別式の中で、永平寺で同期修行されたご友人が弔辞を送っていました。
その中に、「あなたの料理に対する姿勢は常に真剣で、正直言って時には ”なにもそこまでしなくても・・・”と思うこともありました。しかしそうした全力投球の姿勢が、多くの人を惹きつけたのだと思います」という一言がありました。
まさに同感です。和尚が料理をするとなると、ともすれば本業のついでというか、趣味半分で楽しむ方も多いのですが、やはりやるからにはとことん、というB先輩の姿勢が、わたしにとってとてもまぶしく見えたからこそ、修行を終えてからも長いおつきあいをさせていただくきっかけになったのだと思います。
その姿勢を見習って、全力投球で精進料理の道を歩みたいと思います。

残念ながら人の命には限りがあり、誰もがやがてこの世を去らなくてはなりません。
もうこの世で直接会うことができないと思うと本当に残念ですが、Bさんから受け継いだ調理技術を守りながらさらに磨いていくことで、今までご指導くださったご恩に少しでも恩返しできるように、日々精進を続けていきたいと思います。

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