当方への御意見・御感想・御依頼などについて

おかげさまで、最近講演依頼や雑誌・テレビなどの取材依頼・原稿依頼などが増えております。
精進料理の素晴らしさを広める一助となる素晴らしいご縁だと思って、力不足は重々承知の上で、できる限りのことをさせていただいております。

そうした依頼をお申し込みになる場合、当方では典座ネットのトップページに掲載されている、eメールによりご連絡いただくように望んでおります。

ごくまれに、何らかの手段でお寺の電話番号を調べて直接電話をしてくる方もおられるのですが、当方としては正直申し上げて困ってしまうのです。大きな会社のように電話応対専属の事務員の方がうちのお寺にいれば、電話による依頼方法でも問題ないですが、そんなスタッフが小さなお寺にいるはずもありません。
永平寺など、数百人規模の僧侶が在籍する大きなお寺なら受付担当の僧侶が配置されていますが、一地方の一般的なお寺の住職は、四六時中電話の前に座っているわけにはいきません。
法要のためにお檀家さんのお宅に伺っているか、寺の境内を掃除しているか、あるいは調理場であれこれ研究をしているか。ほとんどどこかしら動き回っているのが現状です。
電話が鳴るたびに、庭先にほうきを投げ出してダッシュして電話に出て、戻ったらまた落ち葉が風で散らばっていたり・・・。

このブログを読んで、「あー、お寺さんに電話をすると迷惑になるのかなー?ますますお寺への敷居が高くなるナー、」と誤解しないで下さいね。もちろん、大多数の方がかけてくる電話は、必要な内容の電話です。もちろん、必要な内容の電話ならば、境内掃除中だろうがなんだろうが、かけてくださってかまわないのです。
しかしですね、ここ数年増えているのは、庭先からダッシュして息を切らせて電話に出ると「こちらは○○と申しますが、お宅の電話回線をよりお得なプランに切り替えるための・・・」だの「本日は、特別お得なめんたいこセットを御案内しております!」だの「投資しませんか!」だの・・・正直言って、忙しいときに迷惑な内容のどうでも良い電話が多いのですよ。

また、そういうどうでも良い電話に出て、長々と話をしていたら、お檀家さんからの緊急電話がお話中でつながらないってことにもなりかねません。
え?そんなに頻繁に緊急電話がかかってくるのかって?何をおっしゃいますか、お寺に檀家さんからかかってくる電話は、かなりの確率で緊急電話、すなわちご葬儀の連絡ですよ?
喪主の側からしてみれば、一刻も早く和尚の都合とすりあわせて、葬儀の日時やら場所やらを決定して色々な手配を進めなくてはいけないのに、お寺の電話がずっとお話し中、というわけにはいかないのです。

そういう事情により、当サイトではお寺の電話番号を公開しておりません。
お寺自体を紹介するホームページならともかく、精進料理主体の当サイトでは、電話番号を掲載する必要性がほとんどありません。まずはメールのやりとりで充分に用件が伝えられるはずなのです。

また、無理矢理どこかで電話番号を調べて、電話をかけてくる方が後を絶ちません。
その調べた電話番号が正確で、うちの寺の電話にかけるならまだしも、うちでは電話番号をネット上で公開していない以上、ネットで調べた情報は、かなりの確率で間違えています。
同じ名前の別のお寺に間違い電話をかける方がたくさんおられます。群馬県内だけでも、同じ曹洞宗・および他宗派の同じ名前のお寺がいくつかあります。そうした別のお寺に電話をかけることは、本当に先方に対して迷惑になりますので、是非ともおやめいただきたいと思います。
あらためてお願いいたしますが、当方への連絡は、まずはメールにてご発信いただきたく存じます。

電話で直接相手の声を聞いて、悩みや相談ごとを受けるのも住職の責務だ、という考え方があるのももちろんよくわかっております。当然のことながら、お檀家さんには電話番号を公開しておりますし、お檀家さんに対しては電話で悩みごと相談やちょっとした質問などに受け答えしたりはしております。
私がここで申し上げているのは、その上さらに不特定多数の方からの電話にまで応じるのは現状のうちの寺では無理だ、ということなのです。

そこまで説明しても、なおかつ「無理でもなんでも、僧侶である以上、不特定多数を救おうとする姿勢を持たなくてはいけない。理想に向かって挑戦すべきだ」という暴論を主張する方もおられます。
そうした考えを否定はしませんが、私の主義ではありません。できないことまで手を広げて結局収拾不能になってうやむやに終えるのは大嫌いです。自分のできる範囲でコツコツ、が私の信条です。
現在の精進料理活動を長期的に継続させるには、あくまでも現状のやり方が一番良いのです。
そのあたりを御理解いただきたいと思います。

「なんでまた、そんなどーでも良い話題に長々とこだわるの?」
と思うでしょ?
確かに、ほとんどの、良識ある方にしてみればどーでも良いことです。
私も、こんなしょーもないこと、書きたくて書いているわけではありません。
どーでもいい、ですますわけにいかないケースが最近あまりに多いので、書いているのです。
さらに!次回に続きます。

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コメント

  1. 小林肇 より:

    「無理でもなんでも、僧侶である以上、不特定多数を救おうとする姿勢を持たなくてはいけない。理想に向かって挑戦すべきだ」
    ( ̄  ̄;)僧侶でなければ不特定多数を救わなくていいんですかね?
    私から言わせてもらえば…
    「自分の責任の負える範囲で、一人の人間として人を助けるべき」
    だと思うんですけど…。
     お寺を「お悩み相談所」「生活相談所」として使わせていただいています。葬儀で世話になるよりも、生きているうちにいろいろと話を聞いたりすることが大事ですからねえ。
     で、思ったこと…「僧侶もひとりの人間!」
    やっぱり、「人と人とのつきあい」ですねえ…大切なのは。