もう1ヶ月も経ってしまいましたが、先月4月末、永平寺七十八世、故宮崎奕保禅師さまの三回忌法要に参列するため、永平寺に行ってまいりました。
三回忌法要受付のようす。修行仲間が臨時の受付係をつとめていました。「法要に出ることができないから、私の分まで手を合わせてきてくれよ」と彼。たとえ法要に出なくても、こうして受付係をつとめることも、恩返しのご供養なのです。
控室で法衣に着替え、長い長い階段をゆっくりと上がり、永平寺で一番高い位置にある法堂(一般の寺でいう本堂)に着いて法要の開始を待っている間目をつぶると、自分が修行をしていた十年以上前のことが鮮明に想い出されました。
百歳間近になるご高齢にもかかわらず、誰よりも早く僧堂(坐禅を行う建物)に入って黙々と坐禅を組んでおられた故宮崎禅師さま。
特に冬には布団から出るのをついためらってしまうほど厳しい夜明け前の寒さ。若い私たちでも凍えそうな冷え込みの中、一日も欠かすことなく坐禅に打ち込む禅師さまの姿を間近で見て、私たちはどれほど勇気をいただいたことでしょう。
永平寺東京別院にて、朝の勤行で雲水と共に読経なさる故宮崎禅師さまのお姿
そして縁あって禅師さまの身の回りのお世話をつとめる不老閣行者(ふろうかくあんじゃ)というお役に配属され、普通の雲水では目にすることができない日常のご様子に接することができ、益々尊敬の念が深まっていきました。禅師さまは私たちが起床するよりもさらに早く床を離れ、自室で坐禅を小一時間ほど組まれた後、僧堂に赴いて皆と共に坐禅を行うことを知り、なんと素晴らしい方なのだろう、と深い感動を覚えた記憶がよみがえってきます。
はじめて禅師様の車いすを押したとき、ほんの数メートルほどのわずかな距離でしたが、緊張のあまり手が震えて、車いすがまっすぐ進みませんでした。禅師様が「もっとゆっくり押さなあかん」と私におっしゃった声は忘れることができません。
禅師さまを訪ねてくる来客に、なにげなく禅師さまが語ったひと言をふすま越しに聞いて、どれほど自分の修行の糧になったか。
禅師さまがお休みになられる前に、お背中やお足をお揉みしながらお聞きした、昔の高僧のこと、かつての永平寺のことなどの思い出話、あるいは大変高度な禅問答まで。未熟で意味がさっぱりわからない話もありましたが、そのお話を聞くのが本当に楽しみでした。
法要にお出ましになる前などのほんのわずかな待機時間に、ポツリとお話になったひと言が、ものすごく重要なヒントになっていたり。
それまでは、永平寺の禅師さまといえども、ご公務がすんで自室に帰れば、それなりに表ではみせない裏の姿というか、プライベートな面もいくぶんはあるのだろうな、と少なからず思っていました。それまで、表では理想的なことを語っていても、一皮剥けば陰では正反対のことをしているいわば「言っていることとやっていることがまるで違う」人を、それまでたくさん見てきました。
もちろん自分にもそういう面があり、なかなか理想通りにいつでもどこでも実行するというのは難しいものです。
しかし当に文字通り宮崎禅師さまは表裏のない方で、修行僧や参拝者の前で説いた仏法を、常にご自身でも実行しておられました。誰が見ていても、見ていなくても、常に法に則った行いをなさっておりました。
言葉で書けば簡単なようですが、実行するのは非常に困難です。
故宮崎禅師さまは、口ぐせのように「当たり前のことを、当たり前のようにするんじゃ」とおっしゃっておられました。
それは本当に、難しい課題です。とても実現できそうにないような気がしますが、現実に実行しておられた宮崎禅師さまのお姿を想い出すと、難しくても頑張らなくては、と困難に立ち向かう勇気が湧いてきます。
その後私は典座寮(料理係)に再び戻り、そしてやがて永平寺東京別院で典座(料理長)をつとめるご縁に恵まれ、宮崎禅師さまのお食事を作る機会を多く得ることができました。ときにはお叱りを受けたこともありましたが、どれほど勉強になったかわかりません。
宮崎禅師さまには本当にお世話になりました。
永平寺東京別院時代に宮崎禅師さまと撮影した想い出深い記念写真。
考えてもみてください。
百歳を超える禅師さまが、黙々と坐禅を組み、法要をつとめている姿を見たら、もう何の言葉もなくても、自分も頑張らなくては、と修行の励みになると思いませんか。
まさしく無言の教示を常に与えて下さったお方でした。
・・・そんなことを思い浮かべながら、法要がおわって周りを見渡してみると、かつて宮崎禅師さまのもとで共に修行に励んだ先輩や同級生、あるいは後輩など、仲間の姿がたくさんありました。
おそらく皆、それぞれの想い出を思い浮かべながら参列焼香したことでしょう。
私も含めて、涙を流している仲間もおりました。
いま、世間では「葬儀や法事不要論」が流行です。
不況の世を繁栄してか、おカネや時間を節約して、無駄を省こう、といいます。
葬儀くらいはしてもいいけど、その後の一周忌や三回忌などの法事はもうしなくてもいいだろう、自分の気持ちさえ故人にむいていれば、そんなことは不要だ、と言う意見もあります。
もちろん金銭的な面だけでなく、僧侶の品格や言行、教義的な問題など、さまざまな要素が複雑にからみあって問題を難しくしています。
しかし私は今回、永平寺に行って宮崎禅師さまの三回忌に参列し、本当に有意義な時間を過ごすことができました。
なにも特別なことはしていません。
永平寺に集まり、かつての仲間とともに宮崎禅師さまの遺影の前で焼香することで、修行時代の厳しさや、あのころの熱い思いや、志、つらかったこと、嬉しかったことなど・・・色々な想いが胸にこみあげてきて、「よし、また明日から自分の寺でがんばろう!」という強いモチベーションが湧いてきました。
「宮崎禅師を敬愛し、供養しようという気持ちさえあれば、わざわざ時間と交通費をかけて永平寺にまでいかなくてもいいんだ」という意見、つまり法事不要論ももちろんあるでしょう。
しかし実際に行かなければ、ここまで熱い感情は湧いてこないと思うのです。
喪服に身を包み、遺影を前にしてこそわき出る何かがあると思います。
日頃お檀家さんには「法事は、半分は亡くなった故人のために、そしてもう半分は生きている自分のためにするんですよ」と説いておりますが、それをあらためて感じました。
法事を無駄と思うか、有意義に思うか。
それは参列する人のこころによるのかもしれません。
亡き人を偲び、亡き人を想い、在りし日の想い出、在りし日のことばやお顔を想い出すだけでも十分意味があると思うのです。それが今の自分の励みになったり、暖かい気持ちになったり、反省したり、勇気が湧いたりすれば言うことはないでしょう。
三回忌法要の後、仲間たちとしばし語り合ったあと、禅師さまが眠る墓所、寂光苑に足をのばし、宮崎禅師さまのお墓に手を合わせてきました。
おこがましい言い方かもしれませんが、禅師さまに、ほんの少しでも恩返しできるよう、がんばらなければ、と墓前で誓いを新たにした三回忌でした。
寂光苑入口の石碑も宮崎禅師さまご自身の書。