夏の百日修行はじまる

ここ永平寺別院では、5月初旬から、夏の百日修行に入りました。
百日修行は「結制安居(けっせいあんご)」とも称し、もともとは仏教が開かれたインドで、雨季の三ヶ月間は移動せず、一定の場所に留まって修行に専念したことに由来し、これが中国に伝わって夏と冬の二回行われることになったといわれます。

 この百日修行の期間は「制中(せいちゅう)」とも呼ばれます。
 制中の間は禁足(きんそく)といって無用な出入りや外出を禁じて道場に籠もり、修行僧のリーダーである首座(しゅそ)を中心に、一層厳格な修行を積むのです。
ただでさえつらい修行が、より厳しくなるのです。肉体的にも精神的にも非常に厳しい毎日が続きます。指導する側もふんどしを引き締めて制中にのぞみます。

 この夏の百日修行の期間中は、毎朝の法堂でのおつとめの前に、楞厳会(りょうごんえ)と言われる法要が一日も欠かさずに勤められています。十二世紀の頃の中国で、長蘆清了(ちょうろせいりょう)禅師の寺で夏の百日修行に入った所、病人が続出し、禅師が観音様に祈ったところ、楞厳呪(りょうごんしゅ)というありがたいお経を読んで回向をするが良いとのお告げを受け、その通りにした所、僧達の病気が治ったという故事にちなみ、その頃から夏の制中には楞厳会が行われる事となったと言われます。


夏の百日修行はじまる

本来は昼間行われる法要なのですが、昼間はなにかと忙しいため、朝のお勤めの前に行います。ちゃかすわけではありませんが、ただでさえ長くてつらい朝のお勤めが更に長くなり、無事を祈願するための法要なのに、その長いお経のせいでくたびれて倒れそうです。
 しかもこのお経は非常に読みにくく、またものすごく早く読むため、一年生雲水はほとんどついてこれない状態です。目で追うのがやっと。我々指導者は、交替で導師をするため、お経の本を持たずに法要を務めなければならず、わたしもさいきんやっとお経の本なしでなんとか読めるようになったばかりです。それくらいむずかしいお経です。

 長い楞厳呪を読みながら雲水達が法堂の中をぐるぐると輪を描いて行道する様はまさに夏の修行の代表的な一コマといえます。
 医学の整った現代では、志なかばで病に倒れる者はまれですが、かつては夏の百日修行といえばまさに命がけの大修行であったことが伺われます。現在でも命を落とすとまではいかなくても、やはり暑い中に法衣を何枚も着て法要を勤めたり、または強い日差しの中で草むしりや庭掃除をすると、時には体調の不良を訴える修行僧も少なくはありません。
経験上、道場の生活では緊張感がとぎれ、たるむと体調が崩れます。
楞厳会のはじまりにあたり、この緊張感を持続させていきたいと思います。

そんなこんなで5月13日、これから百日間続く長い楞厳会をスタートするための初回の法要が行われました。一人も脱落することなく、無事に夏の百日修行が円成するように祈っております。

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