精進料理とおかゆ11  「米湯の法味」

本日は「精進料理とおかゆ」シリーズの総まとめとして、禅寺とおかゆとの関係についてご説明いたします。

 

すでに解説したとおり、禅寺では非常に古くからおかゆを常食としてきました。現在の修行道場では、通常朝食がおかゆで、昼食と夕食はご飯を食べますが、かつては「二粥一斎」(にしゅくいっさい)といって、昼食のみがごはんで、朝食と夕食はおかゆを食べたり、また「三度粥」(さんどしゅく)といって三食ともおかゆだったこともありました。

なぜそれほどまでに寺でおかゆが好まれたかというと、「贅沢をせず、質素枯淡な生活を旨とする」禅僧の生き様におかゆが最適だったからに違いありません。また、ご飯に比べると三分の一程度のお米でおかゆが作れるため、貧しい寺で修行に励んだ祖師たちにとって、経済的な面からも、おかゆが尊ばれたのです。

道元禅師の著『正法眼蔵』「行持」巻に、芙蓉道楷大和尚(ふようどうかいだいおしょう)という高名な禅僧の逸話が示されています。
 中国宋代に、山東省にある芙蓉山(ふようざん)の住職をつとめた道楷禅師(どうかいぜんじ)は、仏道修行の範を示した方である。国王から、名誉の証として禅師の称号と紫の法衣を賜ったが、世俗の地位や肩書きを避けてそれを辞退した方である。国王からそれは失礼であるぞと咎めを受けても意志を貫いたほどの清廉な人である。

その道楷禅師に、「米湯の法味」(べいとうのほうみ)ともいうべき逸話が伝えられている。

道楷禅師が芙蓉山で住職をつとめていた時、その徳を慕って数百人の修行僧や在家参禅者が集まってきた。しかし一日の食事がたったおかゆ一杯だったため、ほとんどの者が耐えられず去ってしまったのである。道楷禅師は決して昼食・夕食をとらなかった。

あるとき、道楷禅師は修行僧たちにこう説いた。

「本来出家とは、愚かな迷いの生活を避け、生死の苦しみから脱するために、雑念を払い、妄想を捨て、世俗の縁を断ち切るゆえに出家と呼ぶのである。つまらない名誉や欲のために、日々の仏道修行を怠っている場合ではないのだ。(中略)

おまえたちは知っているか、隠山禅師という方は一生世俗と交わらず修行に励んだ。高名な趙州禅師も、山にこもって修行し、わざわざ居場所を知らせることはしなかった。?担禅師はトチや栗の実を拾って食べていたし、大梅禅師は豪華な法衣を避け、蓮の葉を身にまとって暮らしたし、紙衣道者は紙の衣を着て、玄太上座は綿や麻の法衣をつけていた。石霜禅師は粗末な庵を建てて修行僧とともに起居したし、我欲を滅することだけを求めた。(中略)

わたしは、そうした先人たちに比べると何の取り柄もないのに、寺の住職となった。どうしてむなしく住職の地位にあぐらをかき、無駄飯を食べ、先人の伝えた仏法を忘れてよいわけがあろうか。わたしは先人が示した手本を見習おうと思うのだ。相談した上で、山を下りて俗界へ行かない、昼食・夕食をとらない、寺からは寄付の依頼をしない、と決めたのである。ただ寺に与えられる一年分の収入を均等に360日分に分け、その一日分の予算だけで寺を運営するのである。修行僧が増えたとか減ったからといって調整はしないのである。

予算が足りてご飯が炊ける時はご飯を炊き、ご飯には足りなければおかゆにし、おかゆにも足りなければさらに薄めて「米湯」を作って食べるのである。

新しい修行僧が入門した際の儀礼にも、薄いお茶のみで、それ以上はなにも用意しない。堂内に小さな茶堂を建てて、お茶を飲みたい者はそこに行って自分で用意して飲めばよい。なるべく無駄なことを省いて修行に専念すべきなのである。(中略)

わたしは、こうして偉大なる先達の行いを説くたびに、いたらない自分を恥じ、居場所がないほど恐れ多いおもいに駆られる。われわれ今の修行者が、先師たちに比べてなんと軟弱であろうかと慚愧の念でいっぱいである。

この期に及んで、美味なるごちそうをおなか一杯に食べて、満足してからでないと修行ができないなど、誰がそんなことをいうのか。そんなことでは、何もできないままに一生むなしく終えてしまうだろう。時光は矢のごとし、まったく惜しいことである。

しかし、今述べたのはあくまで自分の考えであり、人には人のやりかたもあるから、無理に私の教えを強いることはしない。

皆の者、わたしはここで古人のこんな詩を示そう。

山で収穫した雑穀の粗末なご飯。

しなびた野菜で作った黄色い漬け物。

それを食べて修行にはげむのもきみしだい。

食べずにどこか他に行くのもきみしだい。

今ここに集う修行者たちよ、各自努力せよ。」  (以上管理者意訳)

質素枯淡を旨として、無用な欲を捨て去って修行に励んだ多くの先師たち。その姿を範として、世俗の名誉や、過剰な金銭を求めず、たとえ日々の食事が少なくても、禅僧としてあるべき姿を追い求めて日々の修行に励むことを説いた道楷禅師。しかも、それを修行僧たちに強制するのではなく、その志に同意した者が自主的にその清貧な修行を行ったことがなお尊いのです。

中でも「飯として備うべきは則ち飯とし、飯と作すに足らずんば則ち粥となし、粥と作すに足らずんば則ち米湯となすべし」(原文)の部分です。ご飯に足らないのであればおかゆにし、おかゆでも足らないのであれば「米湯」にしなさいというのです。

米湯というのは、おもゆのようなもので、お米の粒がわからないほどに薄められたおかゆです。今でも永平寺で12月に行われる「朧八攝心」という坐禅修行の際には、その故事にちなんで、典座が調えた米湯を皆でいただきます。

現在はそこまで食事に困る修行道場はありませんが、それでもこの道楷禅師の心を決して忘れることなく、無用な浪費や華美な食事を慎んで修行に励むのです。

お寺のおかゆには、そうした質素枯淡を尊ぶ禅の精神、すなわち「米湯の法味」の心が込められているのです。

おかゆを一口たべるたび、そうした先人の労苦と、食への感謝を感じずにはいられません。

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Posted by 管理主宰者・典座和尚