調理場の掃除

ここのところ数日、某所より依頼を受けて精進料理のレシピ作成+調理写真の撮影に没頭しております。今回の依頼はちょっとややこしく、かなり時間がかかっています。

調理撮影を行っている台所は、日常生活で使う寺の台所とは別の建物にあります。ごく狭いながらも精進料理研究専用の台所です。かつては、寺の台所で調理研究を行っていたのですが、それだと、自分たちの食事時間が近づくと、いったん台所をかたずけ、食事準備をしなくてはいけませんでした。また、調理中に檀家さんが来寺した場合、散らかった台所の中でお茶を煎れたり、とても不便でした。
そこで数年前、ささやかな研究用の台所を作りました。

それ以来、毎回台所を片付ける必要がなくなりました。今回のように数日にわたる調理の場合は、前日の状態のままでおいておき、次の朝ひきつづき調理を行うことができてとても便利です。要するに、出しっぱなしで次の日を迎えられるわけです。

ところが、今回4日間ほど調理を続けましたが、どうにも3日目くらいから気分が乗りません。なんだかイライラするというか、落ち着かないというか、とにかく集中力が出ないのです。風邪かな、と思いましたがどうも違うようです。

さきほど、その理由がわかりました。
要するに、台所を散らかったままにして次の日をむかえ、汚い台所でそのまま調理をするということに対し、無意識に拒否反応を示していたようなのです。

修行道場では、たとえどんなに調理の真っ最中であっても、決められた時間が来たら調理場を片付け、必ずキレイに掃除して整理整頓した上で消灯時間を迎えます。
やり終えることができなかった分は、次の日その分早起きをして続きをしますが、そんな場合でも必ず消灯前に掃除をするのです。
もちろん、修行道場の調理場に限らず、一流のレストランや料亭などでも同じことです。

しかし、現在私が住職をつとめているお寺は、修行道場ではなく、いわゆる一般のお寺ですから、料理だけに専念できるわけではありません。掃除・法要・接客・事務など、やらなくてはいけない仕事はたくさんあります。そんな中で、時間を作って調理研究を行うため、どうしても時間が足りません。それほど多くない調理撮影依頼でも、どうしても数日にわたってしまいます。

ですから、時間節約を考えて、今回はいちいち台所を掃除しないで、いわゆる出しっぱなしのまま、数日間調理を続けたわけです。たとえば揚げ物で油を使えば油が跳ねますし、吹きこぼれなどもあって、どうしてもガスレンジまわりは汚れます。床や調理台の上も汚くなりますし、使った道具も洗い桶にたまっていきます。
そうした道具を、毎日きちんとかたづけて、調理台の上に何もないぴかぴかの状態にするには、1~2時間の掃除が必要です。毎日そんなに時間をかけていたら肝心の料理が進まないので、全部終わってから片付けをすればいいと思って、出しっぱなし・汚れっぱなしの台所で調理をしていたのです。

ところが、やはり長年修行道場の調理場に身を置いていたため、自分で言うのもなんですが、毎日ちゃんと片付ける習慣が、深く深く身に染みついていたのだと思うのです。そのため、片付けない台所が嫌で、無意識のうちに落ち着かない精神状態に陥っていたようなのです。

今日は午後の数時間しか台所に入れませんでした。まだまだ調理撮影は続きますが、もはや我慢できずに、今日はバッチリと掃除を行いました。また明日使うのに、一度全部かたづけて、ガスレンジのゴトクもたわしで磨き、ピッカピカにしました。
そしたら今までのイライラが嘘のように消えました。

修行時代、ある老師が坐禅中の指導でよくこんなことをおっしゃっていました。
「イヤイヤながら坐禅をするようではいかん。坐禅をしなくてはいられない、したくて仕方がないと思えるようにならなくては本物とはいえないんじゃ」

お恥ずかしながら、私坐禅に関しては、坐禅したくてたまらん、しないと落ち着かない、という境地にはまだまだ達していないのですが、こと調理場のことに関しては、自分で言うのはなんですけど、すでにその境地に達しているようです。調理場の掃除整頓をしないといられないのです。

道元禅師さまが記された『典座教訓』にも、
「(調理が終わったら、次の調理に備えて)ご飯やおつゆの桶、使った道具などのすべてを、まごころをこめてきれいに洗いなさい。そしてそれぞれ定められた場所に良くかたづけて、菜ばしやしゃもじなどの小物にいたるまで全てのものを大切に取り扱い、点検して元通りにかたづけ、台所をスッキリきれいにするのです。(私訳)」
と、調理の心構えを示しておられます。

このお示しを文章の上で読み、なるほどそうか、片付けが大切なのか、と思うだけでは意味がありません。それを繰り返し繰り返し、どんなに疲れていても例外なく、毎日積み重ねたからこそ、まさにカラダが覚えたのです。
やはり実践することが大事だなあ、そしてそれを身にしみこませてくれた修行道場のありがたさをあらためて感じました。
良い調理は、きれいな台所から。汚い調理場からは、おいしい精進料理はうまれません。
みなさんも、どうぞ台所をおきれいに。

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2件のフィードバック

  1. 聖者ぼんちリンポチェ より:

    おひさしぶりです。
    一昨年、応量器のセツのことでメールさせていただきました、
    ぼんちです。
    まずは宮崎禅師が遷化されましたこと、
    心よりお悔やみ申し上げます。

    さて、「片付け」のことですけれども、
    よく奥様方の口からご亭主連のことについて
    「たまに料理してくれるのはいいけど、片付けてくれない。」
    という苦情を耳にすることがあります。
    なんでだろう、と思ってたんですが結局、
    「亭主は毎日食事の用意をしないから」と思い至りました。
    食べた後、調理した後の洗い物行為を、「片付け」と称して
    料理という作業とは別のイベントとして考えてしまうから、
    楽しみの後の面倒くさい作業、と捉えてしまうのでしょう。

    では俗に言う「片付け」とは何ぞや、と。
    これは「次の食事の調理」に入っていることだと思います。
    つまり次の食事のために包丁を振るうことと同等行為なのです。
    このことは一週間でも、毎日食事を作ってみたら
    どんなに鈍い人でもわかることだと思います。
    「調理と片付け」という「分別」が、
    食事を作り、食べるということの本質を見失わせている・・・
    私はそんな気がしております。

  2. 料理好きな40代 より:

    はじめまして
    私は精進料理を学びたいと思っています
    現在桐生市在住です
    同じ群馬に先生のような方がいらっしゃるとは思ってもいませんでした
    教えて頂けるような機会はございますでしょうか?

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