「 禅寺の修行 」一覧

修行僧の長寿健康の秘訣、納豆

納豆は本当に体に良い食品です。 各種ビタミン類が豊富で、特にビタミンk2はカルシウムとともに骨を強くします。またマグネシウムなどのミネラル類、腸内フローラにも良い影響をもたらす乳酸菌と食物繊維が豊富で免疫力を高めます。なんと納豆には殺菌作用があり、0157に対しても有効なんだとか。虫歯菌にも抗菌するため、口内環境にも良いそうです。また有名なところでは納豆は血をサラサラにし、血栓を溶かす効果があるということで高血圧や脳梗塞心筋梗塞の予防にも効果的です。納豆かけご飯は血糖値も上昇しにくいという実験結果もあるようです。「納豆好きは色白美人」というように、美肌効果も高く、ダイエットにも適しています。 

誤解されているみょうが尊者の故事

みょうがを食べると忘れ物をするとか、テストの点が悪くなるとか言いますね。 これはひどい誤解であります。  昔、周利槃特(チューダパンタカ・周利槃陀迦・修利槃特・須梨槃特などとも書きます)という出家者がお釈迦様の弟子になりました。彼はものすごく記憶力が悪く、自分の名前も覚えられないために名札を首から下げていたそうです。説法も理解できずに苦しんでいましたが、お釈迦様は彼に「塵を払い、垢を落とさん」と唱えながら「皆の履き物を掃除する修行」の課題を与えました。履き物の泥や汚れをきれいにするのはとても大変でしたが、彼は嫌がらずに一生懸命それをこなし、やがては自らの心の塵や垢、つまり煩悩まできれいに落ちて悟りの境地に達し、阿羅漢の位を得たのです。  そして槃特尊者の死後、埋葬されたお墓から生えてきたのがミョウガです。  尊者が昔自分の名前を荷なっていたため、「茗荷」と呼ぶようになった・・・という話が日本で「ミョウガ宿」という昔話でおもしろおかしく広まったためにミョウガ=物忘れという不名誉な誤解を定着させることになりました。(ちなみにミョウガ宿というのは欲の深い宿の主人が、金持ちの客にみょうがをたくさん食べさせて財布を忘れていかせようとたくらんだものの、自分が宿代をもらうのを忘れてしまって損をしたという広島県に伝わる昔話です)  しかしですね、私はその昔話に惑わされることなく、本来の槃特尊者の故事の方を重んじるべきだと思います。難しい仏教理論がわからなくても、お経が覚えられなくても、みんなが嫌がる辛い仕事を挫けることなく地道に続けて悟りを得た、これはもう私たちにとって最高の修行の見本ではありませんか。 またミョウガは「仏のご加護」を示す「冥加」の字も充てられるありがたい食材です。薬味としても独特の香りと食感がたまりません。 少なくとも私は、ミョウガを食べることで槃特尊者にあやかって、毎日のなすべきことを嫌がらず、コツコツと真面目に続けようと思います。だって私なんかこどもの頃からミョウガ大好きでたっぷり食べてますけど試験の成績はいつも良かったですよ? 「ミョウガ=物忘れ」どころか、「ミョウガ=まじめな努力」、のイメージを広めていきたいと思います。

今日から七月盆 略式の飾りならまだ間に合います

都市部では地方のように本格的なお盆の準備をするのが難しい場合も多いでしょう。その場合は、上の写真のように、お仏壇の前に盆ゴザを敷いて、ナスとキュウリで牛と馬を用意し、水の子だけをお供えする略式でのお盆飾りをお薦めします。はじめから本格的なお盆飾りは無理だから、とあきらめてしまうのではなく、できる範囲でまごころを形に表せば良いと思うのです。この略式なら、ほんの30分で用意することができます。 一年に一度しかないお盆です。是非とも、供養のお気持ちを届けていただきたいと思います。

お釈迦様のお誕生日を祝う「花まつり」に2500年前の精進料理をお供えする

 4月8日はお釈迦様のお誕生日です。われわれ仏教徒にとっておめでたい行事として、華やかに、そしてにぎやかに祝います。    今から2500年ほど昔、お釈迦様のお母様、マーヤー夫人はある日6本の牙を持つ白い像がお腹に入る夢を見てご懐妊なさいました。出産のため里帰りする旅路で思いがけず産気づき、美しい花が咲き乱れるルンビニーの園でお釈迦様は生を受けられました。その時、お釈迦様は天と地を指さして「天上天下唯我独尊」(この命はかけがえのない尊いものである)とおっしゃり、ご誕生を祝った龍天が、産湯代わりに甘露の雨を降らせて清浄なる水を注いでくれたという故事があります。

鎌倉道元禅師顕彰碑

神奈川県鎌倉市に道元禅師顕彰碑が建っています。 曹洞宗の僧侶でも意外と知らない方がおられるようですが、是非知っていただきたい隠れた銘碑です。 この碑は道元禅師の七五〇回大遠忌を記念して平成十四年に建てられました。当時私は永平寺東京別院に籍を置いていましたが、東京別院をあげてバスでお参りにいくことになったのですが、料理長としての役目があるためやむなく留守番組となり同行できず、残念な想いをずっと抱いていました。 道元禅師が鎌倉に布教に赴いた際の史実は謎が多く、類推や想像に頼る部分がほとんどです。永平寺に帰山した際の句から、道元禅師のどのような心境を読み取ることができるでしょうか。