2033年問題 友引・大安などの六曜は必要か?

先日ネットで見かけたニュースです。

2033年問題

元記事は週刊誌のようです。要約すると、まず太陽の動きをもとに夏至や秋分、冬至などの日にちが決まり、伴って友引や大安などの六曜が定められるそうですが、その規則通りに決めようとすると、2033年には不具合が生じてうまく決めることができないのだそうです。これは1844年に現状の規則性が定められて以来はじめての事態だとか。

まあうるう年のようなものがあるくらいですから、どこかでズレが出るのでしょうね。

で、2033年には暦がキッチリ決められないので、大安や友引が決まらない→葬儀業界で混乱が起きる!というわけです。

いまどきの方は大安でも仏滅でもあまり気にしていないと思います。実際、そろそろ来年の手帳を用意する時期ですが、年々、六曜が書かれていない手帳やカレンダーが増えてきて、手帳を選ぶのも苦労します。しかしわれわれ葬儀関係の業界や、年配の方はまだまだ六曜を無視することはできないのが現状です。

そもそも仏滅やら大安という六曜は、仏教とは本来関係ありません。むしろ仏教では、そんな迷信は気にしないでもっと本質をみなさい、という教えです。ですから六曜を強く否定する宗派もあります。

実際「友引」に葬式をしたら友達をあの世に連れて行くから縁起が悪い、なんていうのははっきり言ってダジャレの部類ですからまったく馬鹿げたことだと「私個人は」思います。その証拠があります。住職が亡くなると、友引の日に葬儀をする場合が多いです。なぜなら、法要を手伝ってもらう僧侶や、参列してくれる僧侶も友引にはお檀家さんのお葬式が無い日で時間が取りやすいからです。それでも住職の友人が連れられてあの世に行ったという例は聞いたことがありませんし、「友引に葬式するなんて!」というクレームもありません。

では、「六曜は仏教とは関係ないから廃止しましょう!」と積極的に主張するつもりはありません。「本来関係ない」ことと、「長い歴史を経て意図せず関係ができてしまった」のは別問題です。なんでもかんでも「本来こうだから」と言ったのでは話が進まないことは世の中たくさんあるのです。

仏事の日程など、住職が主体的に指導できる事柄で、なおかつ仏教教義に関わる行事等の日取りならば、迷っているお檀家さんにはきちんと説明した上で六曜をあまり気にする必要はないことを了承してもらいますが、たとえば「ご近所さんがご自宅を新築したからみなでお祝いを渡しにいこう、いつが良いかな?」というような場面で、「六曜なんかくだらない迷信だから仏滅に行けば良いんですよ!」と説得するべきでしょうか?やはりここは無難に大安に・・となるわけです。もうそれが日本文化というか社会慣習になってしまっている以上、「本来論」がふさわしくない場面は多々あります。

記事にも書かれていますが、友引の日には、火葬場の職員さんが休みを取ったり釜のメンテナンスをしたり、会議や行事などの予定を入れたりと、社会的に便宜上必要な面があるのです。

別に六曜でなく、たとえば火曜日は火葬場は休業、と全国的にキッチリ足並みを揃えて決めてくれれば、それでなんの不都合もありません。地域を越えて参列したりすることも多いので、国内すべてが揃わないとダメです。そういう意味では、根拠は別問題として、六曜は全国共通だから便利なのです。

要するに、友引や大安、仏滅などは仏教的には「本来無用」であることをわきまえた上で、現実対応としてはきっちり気にしていく必要があるのです。

で、話は2033年問題に戻りますが、まー正直言って、そんな先の話に今から心配しているなんて大変だなあー、と思いますね。そこまで自分が生きているかもわかりませんし。

おそらくその数年前になったら、規則を例外的に柔軟に変えて、なにか現実的な割り振りで六曜が決まるんじゃないでしょうか。で、もしそうしたキッチリとした太陽の動きによる割り振りではない暦で一年やってみて特に問題がなければ、やっぱり六曜は迷信だなあ、と確信が深まるでしょうね。それでも六曜は無くならないとは思いますが。コンピュータの日付がうまくおさまらず社会インフラが停止してしまうかもしれないと心配された2000年問題に比べたら、どーでもいいレベルの話のように思いますが、いかがでしょうか。

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