昨年の秋以来の永平寺。いつ行ってもその根本精神は不変ですが、細かい点は時代に即して変わっていきます。
今回最も大きく変わっていたのは、食事場所がイス席になっていたこと。春頃に永平寺の機関誌の記事で読んで知っていましたが、実際目にして正直いって驚きました。
永平寺では、宿泊してお参りする「参籠者」は薬石(夕食)と翌朝の小食(朝食)をいただくことができます。精進料理だけ食べたい、というのはダメで、あくまで永平寺に泊まって坐禅や朝のお勤め、説法聴聞などに参加する方に、修行の一環として精進料理を召し上がっていただくのです。
ですから他宗派のように見た目も豪華なご馳走のような精進料理ではなく、修行僧が一から作った手作りの質素な内容です。しかしそれこそが本来の精進料理であり、こればかりは永平寺に宿泊して食べてみないと本質を理解することは難しいでしょう。
参籠者が食事をする場所は原則として吉祥閣(きちじょうかく)という建物で、応供台(おうぐだい)という広間でいただきます。
今までここには畳敷きの上に漆塗りの脚高膳がズラリと並べられていました。修行時代、この応供台の係も務めたことがありますが、空いた時間は常にこの漆のお膳をピカピカに拭き上げ、赤じゅうたんをホコリ一つないように掃除するのが日課でした。
応供台では全員がそろってから、案内の作法に従っていっせいに食べ始めます。多い日には数百人が宿泊する永平寺では、応供台に全員が入って席に揃うだけで20分近くかかり、食べおえて応供台から出るのに一時間かかることもあります。実際、昨秋にお参りした際の薬石は三百人近くだったため入室から退出まで一時間十五分くらいかかりました。僧侶は先に案内されるので、一時間ずっと正座するのはしびれて大変なのです(私は)
今は永平寺にお参りに来る方々もご高齢の方が増えてきました。実際正座での食事は膝が痛くて難しい方も年々多くなり、イスを希望する方が年々増えてきていたようで、二,三人がイスを希望すると何十人もの方が我も我もとイスを求めます。そうすると係の雲水がイスを奥から出してくるのですが、その入れ替えだけで10分近く待つことに。これではせっかくの料理が冷めてしまいます。
それに若い人でも普段正座をしませんから、いきなり一時間近く正座をするのはかなりきついですし、退出時にもしびれてなかなか立てないと時間がかかってしまい次の進行にも影響が出てしまいます。
それにお膳席の時は、宿泊者が多い場合はかなり詰めてお膳が並べられていたため隣の人とピッチリくっついて座ることも時折あって、肱が隣の人にあたったりすることもありました。イス席ではイスの幅が決まっているため、かなり隣の人とは余裕がありました。
またお膳席のころは食事がおわる頃に配膳係がお茶を一人づつに注いで回っていたのですが、これがとてもありがたい反面、配膳係の人数がたくさん必要になる上、時間がかかるのが難点でした。
またご飯椀に注いだお茶をそれぞれのうつわに移して料理の残りカスをすべて流して飲みきる、僧侶の食事作法を模した作法が行われていたのですが、実際これは年配の方にはなかなか難しく、こぼしてしまったりかえって汚してしまったりすることが多かったように思います。
今度はテーブルごとに大きな急須と、各自のお盆に湯飲み茶碗が置いてあり、自分で食べ終わることに随時注ぐことができてこれまた時間短縮の意味ではスムーズです。
修行として食べるのだから時間を気にすべきで無い、というのはもちろん正論なのですが、数十人なら良いのですが百人を超える団体参籠の場合は何をするにも時間がかかります。通常は薬石(夕食)の後にお風呂の時間になるのですが、食事が時間オーバーするとお風呂の時間が短くなってしまうのです。やはりスケジュールが決まっている以上、人数が多い場合でもきちんと時間内に進行できるように工夫することは大切だと思います。
私は永平寺内部の僧ではないので、イス席に変えた正確な事情ははわかりませんが、おそらく私の推測はそう遠くはないでしょう。これも時代の要請だと思います。
今回は二百人くらいの宿泊者でしたが、イス席だと非常にスムーズに全員が着席して食事が始まり、所要時間は退出まで三十五分くらいでした。これならばその後の予定も滞りなく、余裕をもって進みます。
さて、次に細かい点ですが、永平寺に泊まると夕食の際に「不腆(ふてん)」の品をいただくことができます。「腆」は立派なもの、という意味なので、それに不がつくので直訳すれば「粗末なもの」という意味になります。もちろんこれはへりくだった表現で、まあ要するに「つまらない物ですが永平寺参籠の記念にどうぞ」という意味になります。
どんな品なのかは実際泊まった際に確かめていただく方が良いのであえて書きませんが、その中に「吉祥菓」というお菓子がつきます。これは私が修行していたころにはすでに付いていたので少なくても20年以上続いています。
まあ昔どこのお寺でも配っていた干菓子の類で、群馬では「おみごく」と呼ばれていました。
余談ですが「おみごく」はお供物を敬って丁寧に言う呼び方で、漢字にすると「御御御供」、御が三つもついてものすごい丁寧で、しかも語呂も良いナイスネーミングだと思います。
このお菓子がこのたびリニューアルしていました。
写真の左側が旧タイプ、右側が今回変わった新タイプです。
永平寺の寺紋をかたどったデザイン、新タイプの方が色と味のバリエーションが増え、丸型になって見栄えも洗練されたと思いますが、数が減ってしまったのは少々残念です。味の種類が増えたためコストはむしろ上がっているかもしれません。
なお今まで不腆の品はお膳の脚の下にあらかじめ置いてあったのですが今度のお膳は脚がないお盆タイプのため、退出時に応供台の出口付近で係の雲水が手渡してくれるようになりました。
配膳係の時、空腹に耐えかねてこのお菓子の不良品(箱がつぶれたり破れたりしていてお客さんに出せないものがごくごく稀に出るのです)の廃棄品を皆でわけてひとかけらずつ食べたのも懐かしい想い出です。
※なお念のため補足しますが、私は永平寺内部の者ではありません。今回の応供台イス席や不腆の記事はあくまで今回訪れての個人的レビューであることを誤解なきようお願いします。
またこれらの記事を元に直接本山に問い合わせることは修行の迷惑になってしまいます。くれぐれも記事として楽しむに留めて下さい。よろしくお願い致します。