さて、相次ぐ食品偽装問題に対して愚見を申し上げましたが、もう少し申し上げたいことがあります。
それは、最近賞味期限の改ざんや、産地偽装など、いくつかの問題が続けざまに発覚した某老舗料亭の問題についてです。
この料亭には、さらに本家ともいうべき料亭があり、すでに故人となっている創業者は和食界では非常に有名な方でした。私もその著書を数冊拝読して勉強させていただいたことがあり、和食を志す者の指標となる偉大な方でした。松花堂弁当を最初に世に出した人としても知られています。
その偉大なる調理人が創業した料亭から、さらに五つの料亭がのれん分けされました。その中で、今回の偽装問題の舞台となっているのは、大阪と九州に店舗を持つ料亭です。
ちなみに、のれんわけされた五つの店のうち、京都を中心として出店した料亭の総料理長は、(今回の偽装問題とは直接関係ない別の店です)伝統的な技を大切にしつつも、時代に即応した新しい和食を求め続ける探求者として高名で、最近はテレビ番組にもよく出演していたので、ご存じの方もおられることでしょう。私の尊敬する調理人の一人でもあられます。
その方のブログによりますと、今回の問題で、ずいぶん京都の店にも苦情やお叱りの言葉が寄せられたとのこと。
もともと同じ店からのれんわけされたために店の名前は同じで、また経営者が親類関係になるという事実はあるものの、正直言って実際にはまったく別の店なのですが、寄せられたご意見の中には、「同じ名前である以上、消費者にとってはどこも同じ料亭だ。」「京都の店にも責任の一端がある。それに気付かないのは当事者意識がないのでは?」といった厳しい指摘が多いようです。
ブログでは、そうした意見に対し、お叱りを真摯に受け止めて、反省するお詫びの言葉が掲載されています。
ただ、これはあくまで私見なのですが、いくら同じ名前であり、もとが一緒とはいえ、まったく別の店のことでそこまでいうのはちょっとおかしいのではないか、と私は思うのです。
京都の店を擁護するわけではないのですが、経営者が違う以上、指摘や改善案の提示なんて、できっこないのです。仮に同じ系列のチェーン店で、その上に立つ経営者が一人なのであれば、別店舗の問題であっても、上に報告し、上からの注意ということで改善への方策が探れるかもしれません。しかし、今回のように名前が同じでも、経営者、責任者が違う別の店の問題に口出しすることは、現実には無理でしょう。そもそも、全く別の店で、なにか偽装が行われているとか、問題が発生しているとか、そんなこと自体が一切わからないはずなのです。
変な喩えかもしれませんが、もし仮に、○○寺の台所で食中毒がおきた場合、その責任は当然○○寺の典座和尚に帰するわけで、○○寺東△別院の典座や、○○寺△古屋別院の典座和尚にはおそらく責任はないだろう、と私は思うのです。
「同じ○○寺の別院なんだから、罪の一端はあるだろう」といわれても、寺が別で住職も別、台所の責任者である典座もまったく別の和尚で、よその寺の台所の方針や衛生状態なんて正直言って全くわからない状態ですから、もとが同じだとか名前が同じだとかいう論理で非難されるのはおかしいと思うのです。「いやいや、同じ名前の寺なんだから、お互い普段から交流し、問題点を指摘し合い、改善していくべきだ・・」という意見もあるでしょうけど、まあそれはあくまで理想論で、現実には各道場で予算も規模も修行僧の人数も違う以上、どうすることもできないと思います。どうでしょう?
そうはいっても、結局客商売ですから、当事者としては、いくら正論でもそんな反論はできないのはよくわかります。ただ、今回の問題に巻き込まれた形の京都の老舗料亭があまりにもかわいそうなので、総料理長を尊敬する私としては、応援の意味もこめてひとこと申し上げた次第です。なんでもかんでも連帯責任、というのはおかしな理論だと思うのです。
なお、本稿は、この偽装問題の本質について論じるものではありませんので、実名をあげるのを避けております。そのため、事件に関する基礎知識がない方がお読みになった場合、固有名詞を出していないために、文脈がわかりにくい部分があると思いますがご容赦下さい。