面山瑞方禅師二百五十回大遠忌法要

平成30年9月17日、面山禅師250回大遠忌法要が福井県小浜市永福庵にて修行されました。

面山禅師は江戸時代に偉大なる業績を遺された曹洞宗の高僧です。

熊本に生まれ、15歳で母を亡くしこの世の無常を観じて出家されました。様々な師に教えを受けながら、21歳の時に東京芝の青松寺に掛錫します。そこで卍山道白大和尚、徳翁良高大和尚等、当時の一流の師たちから学ぶ中で、損翁宗益大和尚の教えに深く感じ入り、仙台の泰心院に戻った宗益大和尚の元を訪ねて深く参学を重ね、その法を嗣法します。

宗益大和尚の遷化(逝去)後には仙台を去り、神奈川県の老梅庵にて門を固く閉ざして千日における坐禅三昧に入り、道元禅師の正法眼蔵をひたすらに読み込むなど学参の日々を送りました。やがて熊本の禪定寺の住職となって布教したのち、福井県小浜市の空印寺住職となります。60代で住職を引退して小浜市奥地の永福庵に隠居します。隠居後も各地から禅師の法を求める声は絶えず、87歳で世を去るまで各地に赴いて仏法を説き続け、曹洞宗の教えを正しく広めることに生涯を捧げました。

面山禅師は道元禅師の教えのみならず各種経典にも深く通じており、非常に細部にまでこだわった、老婆のように行き届いた親切な説法は「婆婆面山」というあだ名がつくほど綿密丁寧で、『面山広録』『永福面山和尚逸録』『学道用心集聞解』『正法眼蔵聞解』『健康普説』『典座教訓聞解』など50以上の著述を残し、その後曹洞宗の教義を学ぶ者にとって避けることができないほど大きな影響を残しました。曹洞宗の僧なら誰でも面山禅師のお名前を知っているほどの傑僧です。

号は瑞方、1683年~1769年、明和6年9月17日示寂(逝去)。

面山禅師

こちらは面山禅師が遺された著述の一部です。典座教訓の注解書である『典座教訓聞解』は精進料理の道を志す私にとっての宝書金訓であります。

面山禅師の著述等

こちらは『健康普説』です。坐禅の際に用いる、警策についての面山禅師の論考は有名です。今から二百五十年以上前に、現代にも通じるお考えをお持ちだったことに驚くばかりです。

面山禅師 健康普説本文

曹洞宗ではお釈迦様の教えを、師から弟子へと余すことなく受け嗣ぎ、つないできました。お釈迦様直系の仏法はインド、中国と継承され、道元禅師がわが国に伝え、その後次第に枝分かれして多くの「法系」がうまれました。

面山禅師には正式に仏法を伝えた弟子が二十数名います。そのお弟子さん方がそれぞれさらに弟子に法を伝えながら全国に教線を拡大して現在に至り、今では面山禅師門下の系統の曹洞宗僧侶は二百名以上います。私はその中の一人、天産慧苗(てんさんえみょう)大和尚の系統から連なる法を受け嗣ぎ、永平寺の六十七世北野元峰禅師を排出した法系に属してます。面山禅師の法孫によって、法類会が結成されており、毎年、聖地とも言える永福庵に参集して供養の法要を修め、また面山禅師への報恩行として各種の事業や活動を行っています。

こちらは十年前、面山禅師二百四十回小遠忌を記念して刊行された『永福面山禅師宝物集』です。当時私は法類会の事務局長を務めていたため、編集に大変苦労した良い想い出があります。当時は一般に頒布もされ、毎日希望者に発送する対応にてんてこまいでした。(注・また現在私は事務局を退任しており、法類会役員ではありませんのでこの書籍に関する問い合わせは一切お受けすることができません)

有名な、永平寺の山門に掲げられている巨大な額も面山禅師の揮毫です。面山前に関する遺品は宝物として法類会で確認把握され、調査がなされてその由来等が記されています。


今回の面山禅師二百五十回大遠忌法要には、全国から大勢の法孫が福井県小浜市にある永福庵に参集しました。永福庵は小さなお寺ですが、法孫たちの報恩の志により、配当する度に堂宇等が整備されています。今回は駐車場が拡張されていました。

永福庵

二百五十回大遠忌に際して建てられた角塔婆。

面山禅師250回大遠忌角塔婆

こちらは面山禅師関係の宝物が収蔵されている宝物庫です。普段は非公開ですが、この日は特別に秘蔵物の一部が開陳されていました。

永福庵

宝物庫内部正面には、宝物の中でも礼拝に値する仏像や法具などが特別に設けられた祭壇に安置されています。

面山禅師宝物庫

こちらは面山禅師が夢で縁を結んだという摩頂尊者尊像です。

摩頂尊者

私が法類会の事務局長を務めていた際に私が会報に書いた、摩頂尊者と面山禅師の因縁についての記事が尊像の下に貼ってありました。ありがたさと、10年間の記事と対面したなつかしさ、そしてちょっとの恥ずかしさでいっぱいです。(会員向けの記事のためぼかしてあります)

会報に載せた摩頂尊者の記事

祭壇前の磬子(鐘)も面山禅師が自ら求めたとされる宝物で、むやみに鳴らすことすら恐れ多い品です。面山禅師磬子


二百五十回大遠忌当日、朝からあいにくの雨模様でしたが法要開始ごろには雨もやみました。全国から集まった法類どうし、久しぶりの方もいて話に花が咲きます。今回はお檀家さんや近隣在住の信者のみならず、福井県宗務所長老師や来賓各位もお見えになり面山禅師の遺徳が偲ばれました。

面山禅師250回大遠忌

永福庵

面山禅師御眞牌。

面山禅師御眞牌

床の間狭しと特別された宝物の数々。面山禅師の血脈や大事等、非常にありがたい貴重な宝物にも一法孫として恭しく礼拝致しました。

面山禅師宝物

今二百五十回大遠忌にあたり、柱巻の荘厳と緋の幔幕が法孫一同から寄進されました。天井中央に下げられている天蓋照明も過去の小遠忌の際に献納されたものです。歴代の法孫による、禅師への報恩の念が形となり未来に遺っていくことを考えるとその重みに身が引き締まります。

面山禅師250回大遠忌

正当法要は曹洞宗の法式の中でも最も丁寧な形である「十八拝出班焼香差定」にて行じられました。

面山禅師250回大遠忌

法要中、面山禅師の行跡を讃える疏が朗々と読み上げられ、随喜者一同、敬慕の意を深め、報恩を誓う意を新たに致しました。

面山禅師250回大遠忌疏
面山禅師250回大遠忌疏
面山禅師250回大遠忌
面山禅師250回大遠忌

面山禅師250回大遠忌

慇懃なる法要を終えた後、法類総会が行われ、各種事業や予算報告等が諮られました。その後場所を替えて懇親斎席が設けられていましたが、私は自坊の法務のため斎席には着くことができず、総会後には禅師の墓所に一人お参りして永福庵を後にしました。

面山禅師墓所

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