感謝の言葉の重みを知る精進

マダケのタケノコの煮物を紹介してから3週間、タケノコはすっかり採り終えて今年のシーズンも終わりました。

今年の一月に竹やぶを大掃除したためタケノコの出が悪くなるかもしれないという心配は思い過ごしに終わりました。厳密に言えば例年より少しは少なかったかもしれませんが、その分今まで竹に邪魔されて進入しにくかった奥の方にも入りやすくなった分が増えたのでトントンです。

タケノコが出終わると、その後は食べることができない硬くて細い竹がニョキニョキと生えてきます。雨が続いて二日ほど裏山へ行かない間に身長くらい伸びてくるのでやっかいです。
こうして細い竹が乱立すると同時にイバラのような少しトゲがある低い草が伸びてきて、人間が近づくのを拒みます。実際、これが生えてくるとうっとおしくてとても近よりにくくなります。
タケノコや細い竹は、日当たりの良い竹やぶの南側、なおかつ柔らかい土の方に向かって優先的に新しく生えてきます。

タケノコを採らなければ、ところどころにタケノコが伸びた太い竹が残っていて、その周囲にこの細い竹やイバラが生えているという環境になります。

つまり私が考える竹やぶのメカニズムは以下の通りです。

1 日当たりの良い南側にタケノコが生える→伸びて太い竹になる
2 その周囲に細くて硬い竹が急速に生える
3 その周りにイバラのような草が生える
4 人や獣が近づきにくくなる→竹やぶ拡大成功

というプロセスです。
一度その状態で安定してしまうと、後は近寄りにくくなった竹やぶは成長し放題で、日があまりあたらない部分にまでタケノコが生えてどんどん竹が密集し、古くなって枯れた竹が折れてさらに障害物となるためよりジャングル化していきます。

もちろんこれは人間の都合からの視点で、竹の側にしてみれば人間に駆除されまいと生き延びるのに必死で抵抗しているにすぎません。
要するにこれは自然と人間の闘いなのです。
どちらが良い悪いではなく、ともに生き延びていくために必要な、正当な行為です。

人間の側として自然の恵みを享受するためには、こまめにタケノコを採り、細い竹やイバラを早いうちに伐採して、さらに既存の太い竹もある程度間伐して間引き、人が通りやすいようにスペースを作って竹林を維持する必要があります。
理屈では簡単ですが、この炎天下に細い竹を除去する作業はまさしく苦痛。きちんと対策をしてもほぼ確実に軽い熱中症になって作業後は頭痛に悩まされます。
タケノコを採る際はそれが直接のご褒美=食べることができるのではかどりますが、竹を刈り取る作業は目先の楽しみがないためしんどく感じてしまいます。

放置された竹やぶならまだしも、こうして一年中苦労して維持管理された竹に、タケノコの時期だけやってきて勝手に持って行ってしまう泥棒がいたらそりゃあたまりません。タケノコ泥棒のニュースを聞くたびに心が痛みます。


無事に竹を刈り終えました。

曹洞宗では食事の前に「五観の偈」(ごかんのげ)を唱えます。
これは道元禅師が『赴粥飯法』の中で示された作法です。
五観の偈の一番はじめは
「一つには功の多少を計り 彼の来処を量る」
(ひとつにはこうのたしょうをはかり かのらいしょをはかる)です。

「目の前に並んだ尊い食事ができあがるまでに、どれほど多くの手がかけられ、苦労を経たのか考えて感謝していただきましょう」という意味です。

精進料理に大切なことは、この「苦労」の意味を深く知ることです。
料理してくれた人の苦労、食材を売った人の苦労、運んだ人の苦労など、さまざまな過程で人の苦労があるわけですが、今回は「生産者の苦労」に焦点をあててお話しします。

私たちが口にする食材は、現代ではそのほとんどがお店で購入して入手したものだと思いますが、単なる代金の数値を超えた生産者の苦労があることに想いをめぐらせなくてはいけません。
小さい頃からお金で品物を買うことに慣れてしまうと、金額の大小がそのものの価値だと勘違いしてしまいがちですが、それは大きな間違いです。
うっかりすると、百円の大根にはたいした価値がないように頭が経験を通じて自動的に判断してしまうから困ります。それは百円は安い=価値が低いという貨幣生活をずっと繰り返してきたためにおこる誤解なのです。

では本当の価値というのはどうしたら理解できるのでしょう。

たとえは悪いかも知れませんが、保育園の生徒と先生が「感謝していただきましょう!」「感謝していただきます!」と良く意味もわからないままリピートするのとそう変わらないレベルで「感謝」の言葉を口にして、五観の偈の意味を理解したと思ったのではもったいないのです。

口先だけで「生産者に感謝」とうわべで言うのではなく、自分で汗を流してはじめて理解できる世界があることに気付くべきです。

おそらく昔は誰もが自然と闘って日々の糧を得ていたことと思います。
そうした時代に比べ、便利になり都会化した現代ではそうした体験はどんどん難しくなってしまっているように思います。その意味では、現代的な意味ではかなり不便でも、自然豊かな私の寺などはまだまだ恵まれている方です。

もちろん、できることならタケノコだけでなく、大根やカボチャや小松菜など、さまざまな農産物の生産を実体験できればより良いのは当然ですが、農業従事者でなければあまり広範囲な経験は事実上難しいでしょう。たとえ一種類だけでも、一年を通じて収穫の苦労を実体験できれば、他の作物の苦労も多少は類推できると思います。ですから生産者の苦労を少しでも知ろうとする姿勢(これを「精進」と呼んで良いでしょう)を持ち続けることが大切ではないでしょうか。

具体的に生産者がどのような苦労をしてこの野菜を作ったのか、それを実際に知る人が言う「感謝」と、百円で買える野菜にすぎないと誤解した人が言う「感謝」。
同じ「感謝」の言葉でも、人によってその経験が違うため言葉の重み、深みが全く異なります。

より深く「感謝」するために、少しでも生産者の苦労を体で理解したうえで「感謝」できるよう、今後も精進して行きたいと思います。

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Posted by 管理主宰者・典座和尚