ロボット開発とお寺の未来 その1

季節外れの暖かい日が続いています。

例年だと道路が凍ってカチカチになりますが今年は日課のウオーキングも中断しなくてすんでいます。先日夕方のウオーキング中に聞いていたNHKラジオで、興味深いインタビューがありました。

ロボットに東京大学の試験問題を受けさせたらどうなるかという研究について、開発者の女性とスタジオのアナウンサーたちがいろいろやりとりをしたのですが、まずラジオには珍しくこの女性の語り口がとてもフランクで聞きやすく、難しい話題なのにとてもわかりやすく気遣っていたためついつい聞き入ってしまいました。

そしてその二日後に、たまたまお檀家さんのお葬式があって法要後の会食で私の隣に座った喪主さんの弟さんが、東京大学で医療関係のロボットを開発している方で、いろいろとお話をお聞きすることができました。主に手術現場で医師を補佐するロボット、たとえばアームの先にメスが装着されていて実際に開腹した内臓をロボットのメスが切ったりレーザーで悪いところを燃やしたり、邪魔な臓器を押さえたりするそうです。こんな田舎で、東大のロボット開発に関わる方と隣同士でお話する機会など滅多にないので(普段は野菜の育ち具合や天気の話とか)最先端の話が聞けてとてもためになりました。

数日間でロボット関係の話題に接したせいで少し考えたことがあります。

ラジオでも会食でも、今後の社会で期待されるロボットの役割と、リスクについての話題が出ました。なるほど!と思ったのはたとえば将棋をロボットにさせた場合の例です。人間だとどうしても追い詰められた際の焦りや苦手な差し手に対するマイナス感情、または相手との精神的駆け引きなどの感情面が生じます。それがプラスになることもありますが、多くの場合負ける要因になりがちです。まあ人間ですからプレッシャーや緊張もありますからね。ところがロボットはそういう場面でも一切感情に左右されず冷静に沈着にベストの一手を選択し続けることができるというわけです。

手術の現場でいえば、人間だと「うわー思ってたより難しいぞ、もしここで隣の血管切っちゃったらやばいな、どうしようドキドキ!」(あくまでも話の上での想像です)とか緊張したせいで余計な力が入ってついうっかりメスが滑って出血してしまったりする可能性はあるでしょう。実際、たとえばテレビ取材などでは良いところ見せなきゃ!とかよけいなことを考えがちなのでいつも切ってるたくあんを切るだけでも余分な力が入るものですし。また実際の手術というのは5時間とか10時間かかる場合もしょっちゅうあるそうで、医師はその間休憩もできずずっと立ちっぱなしなので日頃の疲れも加わってつい手先の力加減を誤ってしまう可能性だってあるのだそうです。

それがロボットならば、事前のメンテナンスさえ怠らなければ常に精神的肉体的な不安定さがなく精密に作業が続けられる、というわけです。これは大きなメリットですね。ロボットと一口にいっても別に人間の形をしたものばかりをいうのでは無く、たとえば工場で延々と豆粒の大きさを選別しつづけるセンサー仕分けシステムもロボットの一種だそうで、実際の社会ではもうさまざまな形で実用されているのだそうです。人間が8時間ぶっ続けで豆とにらめっこして大きさをより分けていたら大変ですからね。

災害現場で人間が入りにくい場所でも活動できるロボットロボットと仏教、介護の現場で入浴やベッドから起こす際に人間の力を補助するパワースーツ、家庭で勝手に床掃除をしてくれるロボット掃除機など実際の社会でもたくさんの例があります。

そしてとても便利なロボットですが、苦手な面は得意な面と表裏一体の感情的な部分なのだそうです。ラジオではこう言っていました。たとえば世界史の試験問題をロボットが説く際には、出題内容に対して膨大にインプットされたデータからさまざまな類推プロセスを一瞬で算出して回答を出せるのだそうですが、マンガ雑誌である少年ジャンプのワンピース!はセリフが少ない回があるのだそうですが、三十何巻だかで主人公が島に着いた時に「ウッヒョー」と言って泣いた場面で、どうしてそうなったのかをコンピューターに答えさせるのは現時点の技術では難しいのだそうです。(NHKラジオで具体的マンガ名まで出してたとえるのは珍しいなあと思いました)それはコンピューターにとって判断する情報量が少なすぎて結論を出せないからなのだとか。

人間ならば、島に着くまでのさまざまな経過を踏まえて主人公が感動して泣いたのだろうと理解できるし、まあよほどセンスが異なる人以外には、「ウッヒョー」だけでその感情の動きが説明できます。小学生でも意味がわかるマンガですからね。でもコンピューターにとっては、蛇を踏んで驚いた「ウッヒョー」なのか、思っていた島と違うのでガッカリして泣いたのかわからない。そうした人物の感情を汲み取るというのは計算だけでプログラムするのはとても難しく苦手なのだそうです。

また手術でいえば、精密な動きをして頼りになるロボットアームですが、人間のお腹の中というのはほとんど同じなのだけれど中にはちょっと人と違う配置の人もいないわけではないのだそうです。たとえば内臓脂肪がたくさんついていたり、腸が細めだったりすれば標準的な内臓の配置とは少し違うためロボットの認識プログラムが迷う場合もあるのだそうです。そのため、手術中は必ず医師がロボットを統制下におき、医師の目で実際に確認してあくまでも補助的にロボットを操作して状況に応じて利用するのが基本なんだとか。

まあいくら高度なロボットでも、「じゃあ手術任せた、ソファーでテレビみてお茶のんで待ってるから頼むわ、始動スイッチポチ!」とかで任せきりにできるとは誰も思いませんよね。電子レンジでも、最近はプログラムが優秀で、ほとんど自動で最適な加熱状態になりますがやはりたまには例外があって自動ではうまく暖まらないこともありますからね。

また最近発売されつつある、自動車のオート運転機能というのがあります。車体にカメラや各種センサーがたくさんついていて、読み取った情報をもとに車が勝手に目的地まで運転してくれる機能です。オートクルーズコントロールという、一定速度で走り続けてくれる代わりにハンドル操作とブレーキだけは運転手が行うという機能はだいぶ前から定着していますが、最近はハンドルもブレーキも車がやってくれるのだそうで、もし前の車が急停車したら、人間が反応するよりも的確に、ブレーキを安全にかけてくれるのだとか。まあ人間だとどうしてもボッとしてたりあせって身体が反応しなかったりとかありますからね。

ただし、仮に進行方向が行き止まりだったとして、車が右によけた先の歩道に人がいた場合どうなるか。こうした難しい状況判断をすべてプログラムだけに頼るのは技術上も法律上も現時点では不可能で、運転手が不要になり乗車したら目的地まで眠っていても到着するのはまだ先の話だそうです。

さていよいよお寺、仏教、和尚とロボットの関係について考えをお話ししますが長くなってきたので次回にいたします。

 

記事が気に入ったら是非SNSでアクションをお願いします☆

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です