第4回 典座をつとめた先徳 その2

前回に続いて、本文に登場する先徳のもう一人、洞山守初(とうざんしゅしょ)禅師の解説です。

 誤解されることが多いのですが、おなじ洞山でも、曹洞宗の宗名の由来にもなっている洞山良价(とうざんりょうかい)禅師と、洞山守初禅師の二人が『典座教訓』に登場するので注意が必要です。ここでの「洞山」は後者の洞山守初禅師を指します。

 どちらも洞山という山にある寺院で住職をつとめていたのでその名で呼ばれますが、洞山守初禅師は湖北省襄州にある洞山、洞山良价禅師は江西省瑞州にある洞山で、別の山です。

 洞山守初禅師は、中国唐代末の大禅家で、雲門宗の開祖である雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の弟子です。『典座教訓』の後半にも登場する「麻三斤(まさんぎん)」の逸話で有名ですが、その逸話は本文後半の該当箇所で紹介します。

 ここでは洞山守初禅師が師である雲門禅師のもとで修行をはじめた時の有名な逸話を紹介します。

 雲門禅師と、洞山守初禅師との問答です。

  

 雲門「おまえは今までどこにいたのか」

 洞山「査渡というところです」

 雲門「この夏はどこで修行したのか」

 洞山「湖南の報慈寺です」

 雲門「いつそこを去ったのか」

 洞山「8月25日です」

 

 雲門「おまえを棒で叩きのめしたいところだ」

 

 一晩考えてもその言葉の意味がわからない洞山守初禅師は翌日再び雲門禅師に問いました。

 洞山「昨日老師に棒で叩かれそうになりましたが、私の何がいけなかったのですか?」

 雲門「まったくこのごくつぶしめ、今までどこをウロウロしていたのじゃ」

 洞山守初禅師はその返答を聞いて悟りを得たのです。

 前回同様、一般の方にはわけがわからぬ禅問答です。

洞山守初禅師は、聞かれたことに素直に答えていたのにどうして老師に叱られたのでしょうか。

ある解説書には、「しっかりした師のもとで修行に専念しないで色々な道場をウロウロしていたので叱られた」と書いてありますが、それは少々理解が浅い解説です。

 

 結論から言うと、「おまえはどこにいたのだ」という質問を、地理的な意味で理解したから叱られたのです。

どこにいたのだ、という質問は場所を聞いているのではなく、相手の禅的心境とか禅の境涯を聞いているのです。どこにいたのだという問いに、たとえば「三界を渡り来る」とか「すでに此処に在り」とかいうふうに自己の境地を示す答え、または相対的なとらわれを超えた答えを述べるべきだったのです。全くそれに気づかず、同じ意味の質問に3回とも無意味に答えたから叱られたのです。

  

 ちなみに、有名な一休さんはこの逸話の要点を次のような詩で解き、それを認められて師より一休の僧名をいただいたことで知られています。 

 有漏地(うろじ)より 無漏地(むろじ)へ帰る一休み

  雨ふらば降れ 風ふかば吹け

 漏は煩悩で、有漏地は煩悩のある境地、無漏地とは煩悩が無い境地といわれます。       よけいな解説がない方が味わいが深いと思いますのでこのへんで。全く意味がわからない人は。「洞山三頓」という題で『無門関』という禅書に掲載されていますので参禅参求ください。

 次回から『典座教訓』の本文解説に戻ります。 

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Posted by 管理主宰者・典座和尚