6回 典座の公務解説

まず、献立や食材について、典座が一人で決めないで諸役と相談をして決めるということ。

「たかが献立を決めるくらいで何を大げさな、そんなこといちいち他の老師方に相談しないで典座が決めれば良いのでは?」とか、「まさか永平寺ほどの大寺院で、偉い和尚さまたちが、献立の内容について相談などするはずがない」と思う方もいるかもしれません。しかしそれは大間違いです。すでに「たかが献立」と考える時点で、道元禅師のお心に反しているのです。

実際に、私が永平寺で修行していた時も、毎日とはいかないまでも典座老師はことあるごとに監院老師(総責任者)や副寺老師(会計責任者)などの部屋に行き、諸々の打ち合わせをしていました。

たとえば、今月はこれこれこういう理由で食材費がかさみそうです、とか、今度の大法要から雲上膳の展待方法を変えたいのですがいかがでしょうか、とかそういった内容です。また、維那老師(修行僧を統括する役)が「最近修行僧の間で風邪が流行っているようですので、一つ栄養のある献立をお願いします」と依頼したり、知客老師(来客応対責任者)と「秋の来客向け献立はこれこれこのようにしてはどうか」と相談したり、直歳老師(作務・営繕責任者)と「今度の大きな作務の時には皆おなかがすくだろうから、ご飯を多めに炊きたいと思いますが作務はいつごろ実施しますかね」というように、いつも典座老師の部屋に集まって、お茶をすすりながら雑談をまじえて諸々の相談をしておりました。

私も老師方にお茶をお出ししながら、そうした話を聞いて勉強させていただきました。やはり大きな組織となると、各部署を管轄する責任者の数が多くなり、横のつながりが希薄になってしまうおそれがあります。独断で行った場合、うっかり重要なことを見落としてしまうこともよくあります。また各責任者の独断専行が横行したり、不正がおこなわれないとも限りません。それを防ぐために、各責任者が連絡を密にし、助け合うことが重要なのです。道元禅師は『知事清規』においても各知事の連携、相談が重要であると繰り返し説かれています。修行道場では、チームプレーでこそ、単独プレーでは得ることができない何かを得ることができるのです。

私自身、永平寺別院にて典座寮の責任者を務めた経験からいくと、例えば知客老師(来客応対責任者)に「あ、さきほどお参りに来た檀家さんからミカンの寄付をいただきました」と伝えられたり、監院老師に「明日は午前中に来客が二名あるので、食事を用意して下さい」と依頼されたりと、役寮間の打ち合わせや伝達事項というのは非常に多いものです。上記のように突発的な変更事項であれば臨機応変に対応すべきですし、例えば維那老師(修行僧を統括)から「○日には研修で雲水が五名外出しますから、その分食事を減らして下さい」というように事前にわかっていることであればあらかじめ打ち合わせしておけば無駄も出ないわけです。

そうした打ち合わせは、結果的には二つめのポイントである「食材を無駄にせず大切にせよ」という点にもつながります。限られた食材と経費を有効に活用し、修行僧の食生活を充実させ健康を維持するためには、綿密な打ち合わせが不可欠なのです。

「眼玉のように大切にせよ」とはおもしろい表現ですが、確かに眼球はかけがえがありませんから誰もが大事にしますし、それなりに気をつけて日常生活を送ります。それと同じくらい注意し、配慮して、また敬いの心を持って食材を扱うべきです。

「常住物」という言葉が出ておりますが、要するに禅寺の什物や公共の器物を指します。食材などのような消耗品も含みます。とかく世間の常識では、”自分のものは大切にするけれども公共物には無関心”、あるいはひどい人になると”自分のものじゃないからどうでもいい”という方もよく見ます。我が家のトイレはピカピカにしているけれども、公衆トイレは汚し放題、というのではいけないのです。

修行道場において、禅僧は自分の財産や所有物をほとんど所持しません。禅寺の公共物の恩恵を受けて修行が成り立っているのです。公共物である調理器具や食器の扱い、食材の取り扱い、水の使い方一つにしても、それらの尊いいのちを扱っているということを忘れてはいけません。使わせていただく、という謙虚な気持ちが大事なのです。

この教えは、以降の本文でも言を変え体を変えて繰り返し説かれるポイントです。

3つめに、決定した献立は掲示して公表すること。

今でも永平寺では、献立が決まると厨房の外部壁面の掲示板に明日一日の献立を書き出して掲示します。そこまで丁寧に、そして親切に配慮を行き届かせることもまた修行なのです。 ”明日は何のおかずかな?”などとわざわざそれを見に行く修行僧はいませんが、前日に献立が公表されているということは、典座の職務がきちんと遂行されていることの証明でもあり、それによって雲水たちが無用な心配をせずに安心して修行に専念することができるのです。

なお、細かい補足点ですが、会計責任者である「副寺(ふうす)」について、原文では「副司」と表記されていますが、かつては「司」の字が用いられたこともあったようですが、現在では一般的に「寺」の字が使われ、「副寺」と表します。

また原文に出てくる「保寧山の仁勇禅師」は宋の禅家で、江蘇省の保寧寺という名刹の住職をされた方です。一旦保寧山の住職を退いて他の寺で修行僧の指導をしていましたが、再び保寧山の住職をお願いされて、その寺を去る際、修行僧たちに最後の説法を行いました。その説法は、手のひらを三度たたき、口を指でつまんで三度ゆすっただけで何も話さないという変わった内容でした。つまり、いまさら多くの言葉を述べなくとも、私のこの体の動き(したがって別の動きでもよかったわけです)に全ての真理があらわれており、それこそが最上の説法であるという意味です。 これを「保寧口をかくす」の故事と呼びます。『保寧禅院勇和尚語録』などが遺されています。

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Posted by 管理主宰者・典座和尚