潜行密用

永平寺で一緒に修行した友人の結婚披露宴に招かれました。
彼は私とおなじ平成七年に上山し、いろいろな事情もあり、なんと平成二十年まで十三年間も永平寺に残って修行を続けました。「修行は単なる長さだけでは語れない」とよく言われますが、さすがに十三年という長さにはただただ頭が下がります。


会場前の港には、たくさんの小舟が整然と停泊しており、マストが風に揺れて
カラカラと心地よい音を立てていました

彼とは何度か同じ部署に配属されましたが、私はこうなんというか、与えられたことを一生懸命しようとするあまり、行き詰まって余裕がなくなってピリピリしすぎるような欠点があるのですが、彼はいつでもマイペースで、常に心に余裕があるというか、ピンチの時でもそれをむしろ楽しんでいるかのような、笑顔が絶えない性格で、多くの仲間に好かれていました。
ああ、見習わなくちゃなー、と思ったことが多々あります。

修行中、あまりにも寝不足の日々が続き、ほんのわずかな空き時間に先輩の目を盗んで彼と2人で一枚の毛布にくるまってほんのわずかな時間隠れて昼寝をしたのも良い想い出です。

修行生活が長かっただけあり、披露宴には百人を軽く超える和尚さん方が集まり、高僧もたくさんおられました。だいたいそういう時には、仲人さんの挨拶の後、来賓による祝辞が何人も続き、ようやく乾杯に至るときにはすでに1時間近く経過するようなこともざらにあります。まあ、偉い和尚さま方を来賓として招くと、どうしてもこの人にもあの人にもひと言いただかないと、というバランスというか一種の礼儀のようなものがあるのです。
何人もの高僧からありがたい話が聞けるのもまた良いのですけど、正直言って、4人とか5人とか祝辞があると、話もかぶるし、本音をいえばけっこう苦痛な場合もあります。ま、そこは披露宴を企画する新郎新婦もわかってはいるのですが、それでも略するわけにはいかないのが現状でしょう。

さて、仲人さんによる新郎新婦紹介が終わり、「うーん今日は乾杯まで1時間コースかな!」なんて誰かが小さな声で冗談を言っていると、司会の方が「さあ、では早速乾杯に移ります」とのアナウンス。
各テーブルから「おおーーー」と驚きの声があがりました。
さすがにこれほど速やかに乾杯に移る披露宴は皆もはじめてだったようで、新郎のイキな式の組み立てに大きな拍手が送られました。
彼をよく知る私としては、さすがだなあ、と感心してしまいました。誰もが変だなとか良くないなと思ってはいても、なかなかギリやしがらみで改善しにくいことを、あくまでも招待者のことを第一に考え、思い切って変えてみる。
その勇気というかチャレンジに、またしても彼のうつわの大きさを感じました。
今回の披露宴に限らず、仏事にしても料理にしても、考えていかなければいけないなあ、と勉強させていただきました。

それで、規模の大きな披露宴の場合、一般的には乾杯の後は、それまで1時間近く静かにしていた反動もあってだいたいザワザワとにぎやかな感じになるものです。そのうえ、さらにそれからも祝辞やスピーチが用意されている場合もあります。
冒頭の3~5人に加えて、さらに中盤の2人目くらいになるともう宴ももりあがってにぎやかになり、いくら司会がアナウンスしても、正直なところ「まだスピーチやるの、もういいだろ」くらいな感じでもはや誰も聞いてくれないような例も見受けます。
しかし今回の場合、冒頭で一人も祝辞がなかったこともあり、また宴なかばで祝辞を指名された高僧の徳の高さもあり、乾杯後しばらくして司会がここで祝辞をいただきますというアナウンスをしたとたん、それまで賑やかだった雰囲気がピタリとやみ、皆高僧の祝辞に耳を傾けました。

祝辞の中で、新郎が永平寺のある高僧に仕えていたときのエピソードが紹介されました。
その老師はかなりの高齢だったため、自室でひとりお茶を飲む際、時には湯のみを倒してお茶をこぼしてしまったりすることもあったのだそうです。そんなとき、老師は決まって彼を指名して部屋に呼んだそうです。
彼はそんなとき、顔色一つ変えずにただ黙ってお茶を拭き、淡々と老師のお着替えを手伝って新しいお茶を用意し、誰にも見つからないようにして老師の衣類を洗濯し、自分の部屋に干して何事もなかったかのようにすませるのだそうです。

普通だったら、「老師がお茶をこぼしました!」「私が拭いてあげました!着替えも手伝いました!」「どうですか、私って役に立つでしょ、気が利くでしょ、褒めて褒めて!」となりがちです。
これは一つの例であり、彼はその他何をするにしても、自分がやったことを人に自慢するわけでもなく、いわなくて良いことをことさらにアピールすることもなく、黙々と修行に励んでいたそうです。
十三年も修行すればもはや大先輩ですから、傲慢になってしまう可能性もあったわけですが、彼はあくまでもそうした謙虚な姿勢を貫いたのだそうです。

私はこの祝辞を聞きながら、曹洞宗で毎朝よんでいる「宝鏡三昧(ほうきょうざんまい)というお経の中に、「潜行密用(せんこうみつよう)」という句を思い出しました。
潜水艦が深くひっそりと秘密裏に潜るように、誰も見ていなくても、また誰に認められなくても人知れず良い行いを積むのが修行であるという教えです。
自分の功績を露骨にピーアールしたり、あるいは人が見ている時だけ張り切って、誰もいないときにはサボるというようなことではなく、損得や他人の評価と関係なく、良いことは進んで行い、悪いことはしないのが修行なのです。

まあそうはいっても人間自己顕示欲といいますか、俺が私がという自分というものを強く出してしまいたくなるものです。特にそれが仕事であれば、自らの業務を正統に評価してもらうことも必要ですので、それを全て否定するわけではありません。
しかしそれが仏法修行であれば、そうした評価や目先の結果は抜きで、純粋に正しいことを行う姿勢が尊いのです。
そしてそうした行いは、特別にアピールしなくても、また誰も見ていなくても、必ず誰かがわかってくれるものだなあ、とも思いました。
自分ではそんなつもりはないのですが、最近よくある敬慕する先輩から「だいぶ御活躍のようで・・」と目立ちすぎ、ピーアールしすぎを暗に戒められるようになりました。あらためて自省したいと思います。

ともかく彼の素晴らしい一面を新たに知った披露宴でした。お二人の新たな出発をあらためてご祝福申し上げます。

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