震災百ヶ日忌に想う

本日は東日本大震災の百ヶ日忌です。


仏教では、百ヶ日忌を別名「卒哭忌(そっこくき)」と呼びます。
卒は卒業の卒で、つまり「終える」の意、哭は慟哭の哭、つまり心の奥底から泣くという意です。
文字通り、およそ三ヶ月、百ヶ日が経過したなら、もうそろそろ涙をふいて悲しみの区切りをつけ、前を向いて歩きだそうという意味です。

しかしながら、あれだけ多くの人の命が突如として失われ、また親しい人がいまだ行方不明なままの方や、先が見えない原子力発電所の事故などで多くの方が現在も苦しみ、そして仕事を失い、農産物や観光業等、各方面で多大なる被害が今も発生している現在、被災者に対して「もう泣くのをやめよう」とはとても言えないじゃないか、とここ数日自問自答し続けてきました。

もちろんどのような状況で亡くなったとしても、遺された遺族の悲しみに差はありません。日常生活で亡くなった人の死と震災での死を比べることは無意味でしょう。ふだんお檀家さんへの説法で卒哭忌についてそう説いている以上、本日の百ヶ日忌も同じく説くべきではないか、と考える自分と、いや今も平常を取り戻していない被災者に対し、とてもそんなことは言えないと打ち消す自分の葛藤がここにあります。

結論は未だ出ません。
しかしただ一つ言えるのは、被災者に対して「泣くのを卒業しましょう」と私は今言えないけれど、自分自身に向かってなら言えるじゃないか、ということです。

震災後、自分自身心の整理がなかなかつかず、ボランティアに行きたくても行けないジレンマに苦しみ、無力感を感じ正体のわからない不安な日々を送っていました。
津波の映像や被災地の現況をテレビで見て涙が止まらなくなったことも幾度もあります。

しかしいつまでもそんなことでは、現地で必死で頑張っている被災者に申し訳がないじゃないか、せめて私自身は気をしっかり持ち、もう哭くのをやめて少しでも前に進もう、今まで以上に自分ができることを精一杯頑張ろう、そう思うことにしました。
和尚のくせにそんなことを三ヶ月経ってようやく覚悟できたのか、と笑われてしまうかもしれません。
でもそれだけ自分の中で強烈なショックだったあの震災。
心の整理ができるまでこのブログもお休みしていましたが、本日の百ヶ日忌を区切りとして、今後は少しづつブログも更新し、私自身「卒哭」できるように努力しようと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

百ヶ日忌にあたり、あらためまして犠牲者の御冥福をお祈りし、被災された方々へ謹んでお見舞い申し上げます。 合掌

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3件のフィードバック

  1. 小林肇 より:

    僧侶である以前に人間なのだから悩んだのは当たり前だと思います。
    でもいいじゃないですか。「悩んで、葛藤する」=「生きている証」ですから。
    私はこれをさらに発展させ「生かされている証」と考えられるようになりたいと思います。そうなればもっと人のことをわかるようになれる気がするので。
     ブログの更新などを休むのも構いません。「ときには考えるのをやめてみる」と道元禅師も述べていたではないですか。自分のペースを乱さずに、これからも精進して下さいませ。

  2. 小林さんご無沙汰しております。
    震災の際は御無事だったでしょうか。
    御教示ありがとうございました。
    まだまだ未熟な自分を恥じ入るばかりです。
    まさに一生精進ですね。
    今後もよろしくお願いいたします。

  3. 小林肇 より:

    典座和尚様。
     本当にお久しぶりでございます。幸いにも無事でございました。
    東京都内も地震は大きかったのですが、私の荷物は積み上げるものはなかったので崩れることもありませんでした。
     お寺の方は墓石が倒れたり大変だったでしょうけど、命が救われたことが何よりの宝でございます。
     どうかこれからも料理を通じて命の大切さを広めてくだされば幸いです。わたしも近いうちにお会いできるかも。そのときはよろしくお願いいたします。

    九拝(シ_ _)シ

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